宝塚安寿ミラさんのロンドン公演について。

宝塚安寿ミラさんのロンドン公演について。 15年ほど宝塚ファンですが、この時代のことはあまり詳しくありませんので、教えてください。 古い話になりますが、安寿ミラさんが主演されたロンドン公演で、なぜヒロイン役が森奈みはるさんではなく、若手娘役の月影さん風花さんのお二人だったのでしょうか? また当時の映像を観ていると、若央りささんが2番手格のようですが、若央さんは別格かと思っていました。なぜ若央さんが起用されたのでしょうか。 演目も、なぜ月組でやった演目を花組トップのヤンさんがされたのでしょうか。 また、今も専科で在籍されている五峰亜季さんもかなり扱いがよく驚きました。 当時のことに詳しい方、回答をお願い致します。

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ロンドン公演は、たしか一度あちらの都合で流れて、仕切り直してあの年に実施だったんです。 それで、たいてい海外公演は、トップの中でも特に重責に耐えうる人を真ん中にします。あと、ロンドンは客の目が肥えてるので幾ら世界で唯一女性だけのショーと言っても実力がなければお客は正直だし新聞も辛口なので、その辺りでヤンさんが頼りにされたものと思われます。 ただ本来は花組は東京公演の時期だったんですよ。通常なら組のローテーション入れ替えたりしてトップ休演なんて無いよう準備するはずですが、この時期は花組が安寿体制3年目で安定していたのと、二番手の真矢さんがよそでは下級生がトップ就任して追い抜かされた形という配慮もあり主演を任せても問題ないということで、強行したのでしょう。(そのため安寿さんは念願のブラックジャックを東京で三日しかやってません。観客も、他の演目ならともかく安寿さんで見たかった(泣)) 森奈さんは、実力的にはカップルで行っても問題ないのですが、そうなると花組東京公演が壊滅するので・・・個人的には行って二人で名前を残して欲しかったですが。みはるちゃんは現役時代、抜擢され実力もある割には本当に冷遇で、このあとも月影さんが踊れないのに長々と安寿さんと組むショーがあったり(詩乃優花さんまでも差し置いて)森奈さんはみきさんの他にもバウホールで三番手の愛華さんの相手役したりと、色々させられてました・・・ 話を戻して、そのようなリスケジュールもあって試演は月組で、トップは花組となったのでしょう。ショーの中身も半分は花組の演目とミックスしてますし。 なおお芝居は当初の予定にはなかったがあちらの関係者が試演を見て、ぜひ入れてということになったらしいです。 メンバーはニューヨーク公演から続投の人や連れてけなかった実力派など、かなり実力主義で揃えた印象です。たまに若手に、一芸はないけど経験値つけとこう&出来る奴の中に入れて鍛えよう枠の人(成瀬こうきさんや彩輝直さん辺り) 風花さんは月組の次代トップ当確ですし星奈さんもいましたね。五峰さんも研3か4でショーの一場面もらった(トウシューズで)程の劇団屈指の踊り手ですし、さらに日舞の名取も持ってたはず。最近は踊られてませんが、専科移動後もわりと長い間、バリバリでしたよ。 一幕が日本物ショーなので日舞に強い人も入れてますね。若央さんは歌えて踊れて舞えて、と万能なので目立って当然なのです。(相対的には男役の歌が弱い布陣なので尚更)また香寿たつきさんも名取持ちだった気が(うろ覚え。間違いならごめんなさい)これまた三役できる上にお芝居もできるので、たしか芝居演目ではメインでしたよね。真琴つばささんも帯同してる中、上級生を抜かして役が付くということは、客層を考えてのことですね。 月影さんだけは、謎というしか。たしかにメンバーの顔ぶれの中では、他にヒロインはいないのですが(風花さんはショーでメインはるし安寿さんとの並びが)まあ池銀ガールでしたしね。あの当時の扱いは、はっきり実力の裏付けがある風花さんや純名さんと比べて首を傾げる(育成にしても与えすぎだろう、な)謎でした。 まとめると、当時の宝塚は(ちょっと微妙なとこもあるけど)努力して実力があれば報われる、お客も応援のしがいがあるスッキリした時期でした。

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補足しておくと、海外公演は基本的に国内で同じ形式の試演をしたあとそのプログラムを持って行くのが普通でした。回答後に思い出しましたが、雪組1990年の花幻抄とスイートタイフーンが実現しなかった海外公演用の試演演目です。なおこの時の短いお芝居は二番手の一路まきさんが主演しました。芝居は海外には持って行きません(言葉の関係) 89年のニューヨーク公演の時は、試演を花組でやって、ほぼそのまま実施しています。トップコンビの大浦さんとひびきさんが行きました(なのでその時期に花組の公演は当たらないスケジュールが最初からくんであった)。この時の試演演目に挟んだお芝居も二番手の朝香じゅんさんが主演しました。 ロンドン公演で月組での試演と実際の中身が一部違ったのは、主演スターのいる組で試演できなかった都合(安寿さんがやったことのあるショーから引っ張って来たりして負担軽減)もあるかな?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しくご回答頂きありがとうございました。

お礼日時:9/24 11:42

その他の回答(3件)

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当時は今とは違い選抜メンバーでの公演でした。 近年だとベルリンが最後だと思います。 ロンドン公演ですが、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/1994年の宝塚歌劇公演一覧 こちらに多少かかれていますが芝居以外も再演です。海外公演は何年も前から準備されます。 天海さんのお披露目か海外公演どちらが先に決まったかわからないので憶測になりますが、 まずこの作品が選ばれた理由に芝居を上演するにあたり三部構成にしなければならず※戦前はわかりませんが今の形態で海外公演をされてからは基本は日本物のショーとレビューの二部構成でした※、時間の都合短いものにする必要があったから前年に上演され、なおかつ三部構成のものをそのまま使ったのではとおもわれます。 また、当時は東京公演も通年化されておらずゼンツや特別公演として試演会代わりを行えないため上演済みのものをもって行ったとおもわれます。 次に、2番手格についてですが… 芝居の配役は香寿たつきが2番手です。 出演者を確認すると、どの組の2番手も出演していませんので2番手格不在となります。 次に、ショーの配役は少し分担してるようです。 トップにしかつかないsが真琴についてたり2番手のaが数人についていたりします。分担したなかに 若央が入ってたのだと思います。だから2番手格に見えたのかなと… 階段おりですが、真琴、松本、安寿なので真琴が一番2番手に近いと評価されていたのだと思います。 相手役についてですが 一つは花の本公演でトップ娘役の代役をするにふさわしいひとがいなかった、娘役にも繰り上がりを厳しいと判断した またコンビ2人とも途中からいなくなるというのは厳しいと判断したのだと思います。 1992のアメリカはトップもトップ娘役もでてませんし、1989のアメリカもトップしか出演してませんのでコンビ揃っての考えはなかったかもしれますはん じゃあ何故その2人が選ばれたかですが、 将来トップ娘役にするための試験と経験を積ませることが目的だったとおもわれます。 ただこの形態は少ないのでタイミングと東京公演通年化にむけての過渡期にともない、冒険や模索するために行われた また、稽古他のことを考えた策だったとおもわれます。

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kaz*******さんの回答とかぶるところもあるかもしれませんが・・・ 元々ロンドン公演は、91年にイギリスで行われたジャパンフェスティバルに宝塚も参加の依頼を受けていたけれども、期間中に公演可能な劇場を確保することができなく一度流れ、その後も早い時期に公演の機会を伺っており、94年に劇場の確保が叶い公演が実現したと記憶してます。 何故この時期だったのかは、ロンドン側の劇場ありきだったのではないかと想像します。 ロンドン公演のトップが安寿ミラさんで行われたのは、想像でしかありませんが、実績的にも実力的にもヤンさんが適任と劇団が判断したからではないかと思います。 当時、紫苑ゆうさんはアキレス腱の怪我をしたあとですし、さよなら公演の最中でした。 一路真輝さんは相手役さんが変わったばかり、天海祐希さんはまだお若くトップに就任したばかりでしたから。 それであれば、花組の公演スケジュールを変更できなかったのだろうか?とは思いますが・・・。 ロンドン公演と花組の「ブラックジャック」と「火の鳥」の東京公演と重なっていました。 経験豊富な二番手の真矢みきさんでも、トップスターの代役の負担はかなり大きいことだと思います。 真矢みきさんの負担軽減の為にも、トップ娘役として森奈みはるさんは、真矢さんを支え安寿さんの留守を守るために、ロンドン公演メンバーに加わることは難しかったのだと思います。 最近は、組単位で海外公演を行うケースがほとんどですが、当時は、海外公演は各組選抜メンバーで行っていました。 各組の2番手娘役クラスの娘役さん達(月影さん・風花さん・星奈さん)がロンドンメンバーに入ってました。 月影さんがトップ娘役格だったのは、その3名の中でも同じ花組の月影さんが、安寿さんに一番似合うと判断されたのだと思います。 個人的には、お芝居の「扉のこちら」は比較的似合っていたように思いますが、ショーは月影さんではやはり少し力不足かなとは感じました。 若央さんに関しては、2番手の扱いではなかったですよ。 うろ覚えですが、日本物の幕開きでは若衆ではなく、女役をされていたような記憶があります。 なんでも出来る方ですので、上級生の男役として要所要所では活躍されていましたが、日本物とショーの2番手は真琴つばささん、お芝居は香寿たつきさんが二番手格で活躍されていました。 覚えていることだけですが、回答させていただきました。 長文失礼いたしました。

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真相は知りませんがロンドン公演は紫苑ゆうが行く予定が アキレスけんを切って半年休んだりとか 色々な事情で安寿に回った説があります。 基本的に海外公演は和物とショーなのでダンスや歌に 特化したスターが選抜されるので (この時のロンドンは珍しく3本立てだったんですがそれは 試験舞台の月組を観劇したロンドンのかたが 30分のお芝居も気に入って急遽ロンドンでも決まったんです。 木村先生も当時語ってました。 みつえちゃんは何でもできるしニューヨーク公演も経験者ですし あの頃のマミやタータンみなこリカでは 経験がまだ乏しいからもあったのでは。 ショーではマミがちょっと2番手ぽい待遇でしたよ。 みはるがトップ娘役として道道しなかったのは 真矢みきの主演のサポート役もあったからだとおもいます。 ヤンが3か月離れるので花組東京公演はみきが代理トップとして 主演し、彼女が補佐しました。 わざわざ東京まで見に行きましたよ。 1番みたかったみき&みはるコンビだったので。 このプログラム今でも大事に持ってます。 https://www.hankyu-bunka.or.jp/archive/?app=shiryo&mode=detail&list_id=391&data_id=101024