突然失礼します。 私は27歳の男の会社員ですがここ4年ほどで次々に身近な人が亡くなります。

突然失礼します。 私は27歳の男の会社員ですがここ4年ほどで次々に身近な人が亡くなります。 考えても仕方ないのは分かっていますがなんでこんなことになるのか、辛すぎて仕事もやる気が起きず趣味にも興味が無くなってしまいました。 また食欲は割とあるのですが気が滅入り性欲はかなり無くなってしまいました。 具体的にここ4年で 父の自殺、愛鳥の死、親友の自殺、高校の友達の病死、そして4日前にもお世話になった会社の先輩が事故死、 愛鳥は11年共にし最後は病気でしたが沢山可愛がったので悔いは無いです。 ですが他の人達は寿命でもなく様々な理由での急死です。 こんなに不幸が自分の近いところで続いているのでかなり精神的に参ってます。 精神科にも行ってみようと思います。 このような経験をされた方いらっしゃいますか? またどう乗り越えれば良いのかアドバイスがありましたら宜しくお願い致します。 長文失礼しました。

ベストアンサー

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私は10年前に夫が亡くなりました。その日の朝から声と涙が出なくなりました。1年ほどで元に戻りましたが看病中に発症したパニック障害とはまだ切れてないです。そしてここ3年毎年身内が亡くなり落ち着いていたパニックが少しだけひどくなりました。お気持ちすごくわかります。でもあなたが元気になり穏やかな日常を送ることが亡くなられた人達へのご供養になります。時薬、、、焦らず時間が少しづつ解決してくれます。私も同じような日々ですが時間に身を任せることにしてます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ほんとうにありがとうございます。 励みになります。

お礼日時:9/24 23:50

その他の回答(2件)

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私自身はそのような体験はありませんが、解決の一助として回答します。 現代の社会環境は、超高齢化社会と呼ばれるように、寿命に関しては非常に長生きする人が増えているのも事実です。 それにより、死が身近ではなく、遠くなってしまったという側面があるのも一面です。 けれども、その代償として、生の充実度が低下し、生の量(=寿命)は増えたけれども、生の質(=中身)は低下した、という課題が生じているのが高齢者の実感だと思います。 このような社会環境下では、「生きる意味」の喪失が生じやすく、なぜ生きるのか、生きるとはどういう意味合いがあるのか、生を充実させるにはどうすれば良いのか、という哲学的な課題がつきつけられます。 上記は、今の御質問者さんの身の回りに起こったこととは真逆の現象ですが、ここから学ぶべき解決のポイントは多々あります。 それは、 ①「生きる意味」とは上述したような理屈ではなく、自分で見出さなければならないこと。 ②逆に「生の意味」と「死の意味」はコインの表と裏の関係で、切り離せないこと。 ③生が「始まり」で、死が「終わり」という認識の仕方が、生や死の意味を複雑化させる原因になっていること。 ④生は実感を伴った体験抜きには意味が生じないこと などです。 つまり、周囲の自死は御質問者の視点から評価すれば、不幸と解釈されていますが、これは、ご質問者さんにとって不幸な出来事であっただけで、死んだ本人の視点に立てば、幸せではないにしろ、不幸でも何でもありません。 そこを混同してしまうと、解決の糸口を見失うと思います。 また、精神科に行っても、3分診療と話しを聞いて病名をつけて、その病名に沿って薬を出すだけで、解決には結び付きません。 精神医療は、あくまでも御質問者さんが心理的な側面も含めて、体調に異常が生じているときしか治療を開始することはできません。 問題は、御質問者さんが死をマイナスのイメージとして捉えすぎているだけ、ではないでしょうか。 確かに、死は喜ばしいことではありませんが、決して不幸なことでも何でもありません。 自死は確かに、周囲から評価すれば悲しみの感情を想起させます。 むしろ、問題は、この点=御質問者さんの悲しみ、にあるのであって、死そのものは悲しみという負の感情の引き金にしかすぎません。 こういう場合、悲しみの感情が生じることは悪いことではありませんが、その感情にとらわれてしまうと様々な病気を招いてしまいます。 大切なのは、彼らの死を嘆くことではなく、御質問者さんが彼らの分も精一杯生きること、のはずです。 御質問者さんの生を充実させることが彼らへの最大の供養、ということです。 この場合は、精神科や心療内科で解決するのではなく、鍼灸及びマッサージをしているカイロプラクティック、で悲しみが暴走しないように、緩和してもらうことが有効となります。 それでなくても副作用が付き物の精神系の投薬治療を用いて悲しみの感情を処理する行為は非常に危険極まりない行為です。 マッサージなどでリラックスしたり、鍼灸で悲しみのエネルギーを貯めないようにしてもらいませんか? また、他にも「死生観」を学ぶ、というアプローチもあります。 悲しむことは間違っていませんが、悲しみにとらわれることは間違いです。亡くなった人たちのためにも、そこを混同しないようにしてください。

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身近な人の死は、辛い事でしょうね。 他人の事なら、ある程度、落ち込むことも無いでしょうが。 知人はこう言っていました。 人の死は、寿命であって、子どもだろうが大人だろうが、最初から決まっているのだろう、と。 自分自身も同じで、いつ死ぬのかな?などとふと、思います。でも、この知人の言葉で、同じ寿命ならば、その時までを、精一杯生きることが、自分の務めだと思うようにしました。 悔いが残ることもあるでしょうが、いずれは皆、亡くなります。今まで居た人が居なくなる辛さは、近親者が亡くなった人には、わかりますよ。 今にもそこから顔を出すような気持ちになり、してあげられなかった事を悔やんで悔やんで、もっとしてあげればよかった、と私も思います。 結局は、心境が落ち着くまでは、いろいろな人に話を聞いてもらうなりして、少しずつ、心を癒していくのが1番と思います。 私にも誰にもある寿命を、より良く生きていきたいと思います。いつお迎えが来ても後悔が少ないように。 あなた様も、亡くなられた方が悲しまないように、その人達の分まで、いい人生を送られてください。それが一番の供養と思います。そして、いつまでも忘れないよ、と、彼らに心の中で言ってあげてください。

ありがとうございます。 まだ少し時間はかかりそうですがとても励みになります。 僕のおばあちゃんも似たようなこと言ってた気がします。 感謝致します。