エホバの証人は偽信者さんが、「予言的」「予め」とご自身の無知を認めず、言い訳することに固執なさるのはなぜですか?

エホバの証人は偽信者さんが、「予言的」「予め」とご自身の無知を認めず、言い訳することに固執なさるのはなぜですか? https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14231970534?sort=1&page=2 ○○さん2020/9/22の13:35ご発言 「イエスは雑草と小麦の予言的たとえ話をしました」 「マタイ 13章にあります」 「そして、聖書が予め書いていたように、真のキリスト教は伝道活動で知られているべきでした」 私は信じていませんが、聖書には神からの啓示が含まれているといわれています。 聖書が預言の書といわれる所以です。 実際に、旧約聖書のイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書などは、聖書の神からの啓示が各々の預言者に示され記述された書であるとされています。 新約聖書にも、巻末に「ヨハネの黙示録」がございます。 4つの福音書には、最大の預言者であるキリストによる預言がそこかしこにございます。 それらも、神からの啓示が預言者を通して語られた、または書き記されたものです。 明らかに予言ではなく預言なのですが、○○さんは、ご自身が間違っていたことをお認めにならず、これこれの意味で書いたのだから「予言」と書いても問題ないとごまかし、押し通すおつもりのようです。 恥の上塗りですケドね。 人は間違う生き物です。 それなのに、どうして「ごめんなさい」「間違えて認識してました」と胸を張って認めることがおできにならないのでしょう。

補足

エホバの証人は正直に振るまい、胸を張る事を信条となさっているそうですけど、やってることは正反対?! https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=1060902 noさんのマイプロフィールを見ると、解決済みの質問が4つあるハズなんですが、全て質問者非公開にされてますね。 この状態で「胸を張ります」と仰っても、空しさしか感じられませんよ。 どうせ今後は、こそこそ逃げ回るおつもりでしょうけどね。

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ベストアンサー

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キリスト教には ・死後すぐ天国なり地獄なり煉獄(カトリック)に ・再臨があるまで死後は意識の無い状態に に分かれているのではないでしょうか。 新約聖書は今後の予定について書いてます。 ・第2テサロニケ1:7 それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現するその時、主は神を認めない者たちや、わたし達の主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 ・第2テサロニケ2:12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。 ・マルコ福音13:26 太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。 ・第2ヨハネの手紙 2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなた方がかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。 ・ヘブル9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後、裁きを受けることとが、人間に定まっているように、人間は必ず死後に復活させられ、御子イエスによって審判を受けます。しかしイエスをキリスト(救世主)と信じ、その教えに従う者は裁きを受けず、天国へと召されます。 ・「ヨハネの黙示録」 神は人間や天使たちに殺人を命令して行き彼らはそれを遂行して行きます。そして<未来のキリスト>は、人々を、剣で殺して行ったり火と硫黄の中に投げ込んで行ったりする軍神「王の王」となってます。 このように未来の予告をしているわけです。 そうなると聖書の記述の中には予言(未来の予告)も沢山あるということになります。神から預かった言葉の中には予言(未来の予告)も沢山あるということになります。

ご解答くださりありがとうございます。 予告はあらかじめつげることです。 予言もあらかじめいうことです。 どちらも行為そのものを表す言葉ですので、不正確であっても予告は予告、予言は予言として成り立ちます。 しかし、預言はその言葉通りのことが現実に起こらねばなりません。 予告は誰にでもできますが、預言は資格のある者にしかできないことなのです。 外れれば偽預言のそしりを免れません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

noさんの「予言」や「預言」についての認識は、エホバの証人のそれではなく、一般人のそれですよね。

お礼日時:9/27 23:20

その他の回答(3件)

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宗教を伝道でというコンセプトが間違ってるような。 ユダヤ教のような民族宗教って伝道で広まるものじゃないです。親から子に伝統で伝わるものですよ。イエスが旅をしながら行っていたのは、聖書(旧約聖書)の解釈と弟子の教育に過ぎませんでした。 その後パウロみたいなややこしいのが来て、教義をこしらえて世界に伝道みたいなことになったのです。

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ご解答くださりありがとうございます。 キリストは弟子たちに、やがて天の王国が成るという福音をふれ告げるように指示したとされています。 このことは4つの福音書に書かれております。

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ウィキペディアはこう説明します: 預言者とは、「自己の思想やおもわくによらず、霊感により啓示された神意(託宣)を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者」。 ですから、預言とは聖書全体です。これには箴言など、格言もあり、 「自分にして欲しいように他人にもしなければなりません」というような、 命令、助言なども含まれます。 また予言についてウィキペディアはこう説明します: 予言とは、ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」である。(一部省略) 漢語としての「預言」と「予言」は本来同義である。 一方、啓示宗教における預言と予言・予測は本来的に異なる概念である。 預言や神託は、未来を語ったものも含まれており、その部分は予言でもある。 ですから、予言と預言は、その意味を理解して用いれば 間違いではないのです。 聖書全体は預言ですが、 将来を予め告げている部分は、 書き手が望めば予言と書いてさしつかえありません。 そもそも日本語は、漢字の組み合わせを書き手が選べる語です。 読み手が即座に理解できない場合は説明が必要ですが、 日本語は書き手が漢字の組み合わせを選べる言語なのです。 書き手が強いて用いた漢字の組み合わせを 読み手が否定することは余計なことです。 それでも時々間違えて使うことはあります。

御覧なさい。 noさんご自身がご自身の記述が誤りであることを示しています。 「一方、啓示宗教における預言と予言・予測は本来的に異なる概念である。」 エホバの証人は、典型的な啓示宗教です。 そのような自負心があるため、他の聖書では「ヨハネ黙示録」とされる聖書巻末の書を、神からヨハネという預言者を通して与えられた「啓示」として扱うのです。 それに研究の段階から、「予言」には不確定要素が含まれますが、「預言」は神からの啓示により与えられるため、不確定要素が含まれないことをちゃんと教えられます。 偽信者や、未信者ならまだしも、「預言」と「予言」を混同することもありません。 その違いをきちんと区別して用います。 今のnoさんのように、それをうやむやにしようとすればするほど、偽信者であることをご自身で証明してしまうことになるのです。