東条英機って名前だけ見るとかっこいいーですが、実際は猪口才小心者のプライドだけは高いサイコパスだった訳ですね。

東条英機って名前だけ見るとかっこいいーですが、実際は猪口才小心者のプライドだけは高いサイコパスだった訳ですね。 なんであんなちょび髭小男が日本の戦争を支配する権力を握ったんですか? チビ男の劣等感魂ですか?

歴史 | 日本史54閲覧

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東條は政治家としても軍人としても無能でした。日本政府、軍が泥沼化した日中戦争を扱いかねて右往左往している時、勇ましい事を大声で叫んで(笑)のし上がっただけです。没落も同じ様に早かった。 東條英機を弁護する人は「東條をしても、もはや開戦の流れを止める事は出来なかった」と言います。しかしその「流れ」を作った張本人は東條だったことを御存知ない。 また、「東條英機はたまたまあの時期に首相だったので損をした」と言う人がいますがとんでもない、国政を任されると言う事がどういう事か、トップの地位の者の権限、責任とはどういうものかを理解しない意見です。 戦争に反対であれば「総理大臣・陸軍大臣として認められない」と言えばそれでいいのです。それが言えなかったとしたら政治家として無能、無責任です。 ●東條は関東軍時代、板垣征四郎などと企んで満州でケシを大規模栽培し、麻薬の阿片を満州、中国で大量に密売。巨額のカネを儲けて陸軍主戦派の秘密資金にした。 ●関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣と一貫してして中国大陸侵略を促進、太平洋戦争の主因を作った。 ●第三次近衛内閣では、近衛文麿は山本五十六などの影響もあり平和路線を摸索していた。日本の針路を決めるにあたり、近衛の考えを知っていた海軍大臣は「総理に一任」と。近衛「私に任されたら支那からは撤退。アメリカとは関係調整」と答えた。 東條陸軍大臣は激怒、「中国からは絶対撤退しない。アメリカとは戦争する」と強烈な横槍を入れた。そして会議のあと、東條は近衛のところへ二度も使いを送り、「この件では陸軍はこれ以上話し合うつもりはない」とトドメを刺した。この為に第三次近衛内閣は総辞職に追い込まれました。 そして次期総理大臣には木戸幸一内大臣の強い推薦で東條英機が任命されました。近衛が内閣を放り出して東條に丸投げしたと言う人がいますがそれは大きな誤解です。 「東條でいいのかね」と心配する周囲に木戸は「オレに任せてくれ。東條ならアメリカと交渉出来る」、と。戦後、木戸は「あれは失敗だった」と言ったそうですが、国がつぶれ310万人の日本人が死んだあとでそんな事を言っても遅い。 東條は、天皇から「今までの経緯は白紙に戻し、米英との戦争は避けるように」と要望されたにも拘わらず、総理大臣・陸軍大臣として開戦を承認した。「日本は建国以来2600年、戦争に負けた事がない。その精神があれば米英と言えども怖れるに足らない」と言って。東條はアメリカとの交渉はしなかったし、東條が天皇の意を受けて開戦を防ぐ為に必死に努力をしたと言う記録は存在しません。 ●戦争が始まると、東條は総理大臣、陸軍大臣に加えて内務・軍需・商工・外務・文部の各大臣、更に憲法違反の陸軍参謀総長まで兼任、歴任。憲兵を私兵化し、全国にスパイ網を敷いて東條幕府と呼ばれた専制政治を行った。 自分のお気に入りの腰巾着で周りを固め、気に入らないものは陸軍の高官ですら前線へ左遷。民間人の場合は徴兵年齢を大幅に超えている人も懲罰徴兵で死地に送り込んだ。 国民が無駄をしていないか調べると言って家々のゴミ箱をのぞいて歩いたり、築地の魚市場へ行ったり、、、大戦争をしている国の総理大臣でしょうか?しかも戦争はボロ負け。余りにひどさに陸軍、海軍双方に具体的な暗殺計画がありました。 東條はかんしゃく持ちで、閣議でもすぐハラを立てるのでみんな困ったそうです。ふた言目には「私は天皇陛下に信任された総理大臣だ。その私を批判するのは陛下を批判する事になる」、と。子供ですね(笑) ●天皇に対する忠誠心もウソですね。サイパン陥落で辞職させられた時の部内への訓示で、東條は「天皇への忠義には広義と狭義がある。狭義の忠勤は天皇の意思を直ちに実行する。しかし広義の忠義は天皇の意思がこちらの考えと違っていたらそれを正す。それでも変わらなければ強制してでもこちらの意見を通す。自分は後者を選ぶ」と。これでは忠誠心どころか天皇への反乱ですよ。 ●東條は軍人としても無能。戦争ボロ負けの昭和20年2月26日、天皇の質問に答えて「戦争はまだ五分五分。本土決戦があっても米軍の三分の一の兵力で勝てます」と言って天皇を呆れさせた。 そして敗戦。東條は自分が始めた戦争で国がつぶれてしまった責任を取って日本の武士らしく自決するどころか、東京裁判がなければ戦後も生き延びるつもりだった。東條の出した戦陣訓の為に自殺同然のバンザイ突撃や飢え死にした兵士たちは同じ神社に祀れて喜んでいませんよ。 ●日本が降伏した時、あの東條メモにこう書きました(現代語訳) 「政府、国民がこんなに簡単に手をあげるような意気地なしとは夢にも思っていなかった。そんな国民をあてにして戦争指導した自分が馬鹿だった」 「原爆に怯え、ソ連参戦に腰を抜かし」 こうなると気が狂っていたのではないかとすら思います。 無茶な指導に黙々と従って死んだ忠勇な兵士たちや16歳からの特攻隊の若者たち、苦しい生活を我慢した国民を侮辱した言い草であり昭和天皇の聖断をバカにしたコメントです。 そして自分が始めた戦争で国が崩壊し数百万の日本人が死んだと言うのに、大日本帝国陸軍大将として堂々と自決すら出来なかった卑怯者です。 なお、下の回答、ウソがありますね。 >>陸軍大将から首相になったからです 東條は中将で首相になり、時期的には早いのにお手盛りで強引に大将に昇進しました。 >>一応戦争が起きないようにアメリカと交渉は続けていましたし。 違いますね。交渉継続を主張する外務大臣を怒鳴りつけ、開戦に向けてアメリカには秘密で交渉期限を付けてしまった。 >>一応陸軍大学校を首席で卒業したエリートですよ少なくともあなたみたいなバカよりかはよっぽど賢いです これもウソ。東條は二年連続で陸軍大学校受験失敗、三回目にやっと合格。陸軍大学校でも平凡な学生でした。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:9/28 23:05

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一番重要なのは、親分が永田鉄山だからです。 永田は統制派の首領であり、永田が殺され、子分の東條が永田の敵とばかりに、皇道派を粛清していく。その粛清に抵抗するため皇道派は226事件を自分たちの為に利用しようとするが、東條に完全に封殺される。 こうなると、統制派東條が陸軍の主流となり、軍部のクーデターをチラつかせて、文人を締め上げ、なおかつ大政翼賛会を手先に使い、政治・軍事を壟断する。 人脈とタイミングが東條に味方した。

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コラコラ、そんな事を言っちゃいかんよ。

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戦後にマッカーサーも「日本は資源が無く、(禁油により)2~3000万人の失業者を出さないために戦争に飛び込んだ」と証言しています。 東条英機は優れた陸軍大臣であり、内大臣・木戸幸一がアメリカと和平を結んだときに陸軍を抑えられるのは東条しかいないとして総理大臣に推挙したのです。 東条英機は天皇陛下が非戦であることを知り、戦争回避に注力しましたがアメリカが戦争をしたがったために戦争に引きずり込まれたのです。 少しは歴史を勉強しましょうね?

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そんな権力は有りませんよ、開戦当時の首相でしたが、それは昭和天皇の信任が厚かったからです。

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>日本の戦争を支配する権力を握った というのはちょっと違います。 頭は良いけど、決断力に欠けるリーダーでしたから、 周囲の顔色を窺いながら、問題を先送りしていった結果、 戦禍をますます拡大させてしまったという次第です。