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2020/9/26 22:48

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北清事変で、西太后は列強8カ国に本気で勝てると思って宣戦布告したんですか?

北清事変で、西太后は列強8カ国に本気で勝てると思って宣戦布告したんですか?

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この場合、何をもって勝ちとするかによると思いますが。 西太后としては北京市内から西洋列強(日本含む)の兵士を追い出せれば勝ちになるのでそんなにハードルは高くないと思ったんでしょう。 また、列強国が要求していた天津にある大沽砲台の撤去だけはしたくなかったという事情があります。 義和団の人間が外国人を襲撃する事件があり、各国が義和団の取り締まりを依頼したのに清政府が動かなかったため各国が自国民保護を名目に兵士らを北京市内に常駐させていました。 恐れ多くも皇帝陛下のおわす北京に外国の兵がいるのはいかがなものか、として義和団はもちろん皇族らも反発したのが義和団事件に繋がります。 北京には実質的な人質(各国の公使とその家族)がいました。 西太后は「北京から勝手に出ていけ」と通知はしていたのですが、北京市外はほぼ無法地帯に近く義和団を名乗る無頼の人間が2万人集結していたものですから市外にでたら殺されてもしょうがない状況。 女子供もいるのでとても北京市から出られない。 しかし籠城してる公使らは食料の供給もままならない状況でしたので、長期戦になれば餓死者が出る恐れすらありました。 もって2か月というタイムリミットがありますし、西洋は北京から遠いのでそうそう大軍を送り込めないだろうという目算もある。 あとは列強が折れて清の要求に従うなら(今後は北京に外国の兵を入れないという条約にサインさせれば)清の勝ちになります。 しかし列強の船は清が考えるよりずっと発達してて、各国はすぐにそれなりの兵を送りこむことが出来ました。 イギリスなんかインド兵も送り込んでますしね。 アジアに植民地がある国はそういうことも出来る。 ロシアは鉄道で兵を輸送出来ました。 そして何より各国は日本に頼って来た。 日本は北京からそう遠くないし大軍を送り込める体制がある。 日清戦争があったばかりだったのも功を奏した。 各国の支持無しに軍を動かしたら大問題ですが、列強国が頭下げて日本に頼んできたんですから大義名分がある。 ついでにロシアが極東に兵を送りこんでいるのが正直目障り。居座られても困る。 日本は清へ軍を送るることを決定。 大々的な戦闘へと向かっていきます。 (この時の日本の活躍に目を付けたイギリスが日英同盟を画策するのですが別のお話) ただ実のところ、西太后はこの戦いに興味が無かったらしい。 八か国連合軍と清軍がドンパチやってる間も紫禁城の中は平穏そのもので西太后はいつも通り優雅に過ごしていたとか。 (あげく北京で籠城してる公使らに暑いからとスイカの差し入れまでしてる。のんき過ぎる。) そのため八か国連合軍が北京に迫った時に大慌てで紫禁城から逃げ出す羽目になっています。 農民の身なりで脱出してそこらの農家に身を隠して農民らから食料を分けてもらったというから何の準備もしてなかったんでしょうね。

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その他の回答(2件)

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勝てると思ったというよりは「勝てるかもしれない」という希望的観測にすがったというのが正解でしょう。 義和団は「扶清滅洋」を唱えて清王朝を支持し、列強諸国の追放を求めました。 これを清王朝が討伐すれば「支持してくれている勢力を討つ」事になり、民衆の支持を失いかねません。 だから万一の僥倖を期待して宣戦布告をするように追い込まれてしまったのです。

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そのとおり。 というか、実は清朝の宮廷内でも洋務派と守旧派の対立があって、西太后などの守旧派が、当初は義和団の勢力を抑えようとしたものの抑え切れなくなり、自分たちの身を守るためと、洋務派への対抗上からも利用することにした(つもりだったが思い切り当てが外れた)、ということのようですね。 あと、当時はイギリスがボーア戦争にかかり切りで、アメリカもフィリピンの独立運動に手を焼いていたことがあったみたいです。まあ、冷静に考えたら8か国連合軍に勝てるわけないんですが、当時60代半ばの西太后が半分ボケていたのかもしれません。