ID非公開
ID非公開さん
2020/10/2 19:31
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阿含宗の桐山ちゃんの著書『君は誰の輪廻転生か』を読みました。桐山師は天才だったんだな、って、思います。 内容は驚くほど意表を突くウソ!
阿含宗の桐山ちゃんの著書『君は誰の輪廻転生か』を読みました。桐山師は天才だったんだな、って、思います。 内容は驚くほど意表を突くウソ! まさか堂々とすぐにばれるウソをつく筈がないという、人の持つ善意を逆手に取ったダマし技。いつもながらお見事! 日本人でこれほどウソをつくのが上手い人がいるでしょうか? 天才(天災)ですよね? 阿含経に『三供養品』なんてお経はないのにいまだに阿含宗では常用経典。信じて疑わない哀れな信者たち。まったくすごい技ですよね? 添付資料は桐山ちゃんの著書『君は誰の輪廻転生か』の349ページです。いつものウソです。 下記も参考になります。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12217482602?__ysp=6Zi%2F5ZCr5a6X
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嘘というよりも、自己流の素人解釈で経典を捏造したということでしょう。 2チャンネルやネット投稿記事の情報によれば、 *** 阿含宗開祖は、「三善根」の意味は、無貪瞋痴ではなくて、「功徳の種を植える」ことと解釈してそれを「三福道」という語に改めた。 「無貪・無瞋恚・無痴」は十善戒のうちの三つである。 貪らない、怒らない、愚かな事をしない、という「戒行」だけでは、涅槃へは至れない。 七科三十七道品の成仏法を、修行せずして五下分結を断じ、須陀逼から阿那含にまで到達できる、ということである。 *** と書いてあって、そのような開祖の解釈を賞賛しています。 開祖が「三善根」を「三福道」と書き換えたのは、意図的なものだそうです。 これを見ると、開祖は「無貪・無瞋恚・無痴」の意味の重要性を認識できてなかったことが分かります。 滅尽定を修行していなかったことが分かります。 (私は、タンハーを解放する修行をしているので分かるようになりました。) 「無貪・無瞋恚・無痴」は、単なる戒ではなく、「滅尽定」の修行によってタンハー(渇愛)の一部が解放されて貪瞋痴がなくなったことを意味します。 そしてそのタンハーが解放された状態は、死後の世界や来世へと引き継がれます。全てのタンハーが解放されれば、苦がなくなり、輪廻しなくなります。 また、「修行せずして五下分結を断じ・・・到達できる」は誤りです。 「当に方便を求めて比の窮尽す可からざるの福を獲べし」を見落としています。その「方便」とは「滅尽定」の修行のことです。 「功徳を種える」とは何でしょうか? 阿含宗で行われているように「多額のお布施や自己犠牲で奉仕すれば良い」というのではなく、 お寺で、自分の「タンハー」を意識しつつ、「無貪・無瞋恚・無痴」となるような言動をして、お寺で活動するということでしょう。 そのような言動は、他の修行者に良い影響を与えて「功徳」になるでしょう。それが修行になる、ということでしょう。
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ID非公開
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質問者
2020/10/5 0:16
ご記入ありがとうございます。 「三善根」の意味は、無貪瞋痴ではなくて、「功徳の種を植える」ことと解釈してた根拠をご存知でしたら教えて下さい。 もっと分かり易くいうと「三善根」は「功徳の種を植える」とした根拠ですね。 よろしくお願い致します。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:3/3 23:20