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2020/10/9 16:51

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ペットロスについてです。16年間一緒にいた愛猫が亡くなりました。火葬が終わってお骨も持ち帰りました。火葬している最中もずっと辛くてずっと泣いていてもうこの子がいないと思っただけで動悸がしてました。家に帰

ペット | ネコ648閲覧

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私も9月の末に愛猫を亡くしました。腎不全で苦しんでいたので、亡くなったときは、もうこれで苦しい思いをすることはないんだなとホッとした気持ちもありましたが、やはり、家に帰るといつもいた場所にあの子がいない現実をつきつけられ、胸が苦しい、夜も眠れないといった状態が今でも続いています。立ち直れる気がしない…今はそれで良いのではないでしょうか。急いで立ち直らなくても。 最期の姿ばかりが頭に浮かんでしまいますが、あの子と過ごした楽しかった日々を思い出すようにしてます。あの子が苦しんでいた姿ばかり思い出すのは、嫌がるかなと思って。楽しい思い出をたくさん残してくれましたし。 あとは、時間が少しずつ解決してくれるのかなと考え、気長に哀しみと向き合ってます。

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ここの人たち好き 辛いと思います、無理して忘れる必要はありません、何処かで見守ってくれると前向きに思いましょう。

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まず、この世界は、物質(身体)だけでできているのではなく、 霊魂も存在するということをご理解下さい。。。 現代社会は、科学万能を謳歌し、霊魂が存在しないかのように、 人々に教えていますが、それは誤りです。 古代~中世の人々は、霊魂を信じていましたし、 現代人より賢かったと言えます。 その頃の人たちは、現代人のように、死を深刻には受け止めなかったでしょう。 身体は幾度も滅んでも、 霊魂は不死であり、長い旅を続けることを知っていたのです。 あなたが、愛猫の死を受け入れられないのも、現代教育のせいと言えます。 生き物=身体にすぎず、死ねば、全て終りだと、 あなたも信じさせられたのでしょう。 しかし、土の固まりに過ぎない身体だけで、 生命現象を説明するのには無理があります。 蝶の芸術的な美。 動物と人間の間の愛情。。。 これらは、霊魂があるからこそ可能な、生命の強さ、美なのです。 愛猫と愛が通じ合ったのは、互いに霊魂があるからです。 愛猫の身体は、寿命が来て滅びましたが、 愛猫の魂は、まだどこかでピンピンしていることでしょう。 恐らく今頃は、天国で、神々と遊んでいるかもしれません。 ですから、悲しいことは何も無いのです。 それを悲しいと感じるのは、 人間という生き物が、重い鎖で地上に繋がれているからです。 もしも人間の魂がもっと自由で、天国を覗くことも可能なら、 今すぐにでも、あなたも、愛猫に会うことも可能でしょう。 しかし、霊魂さえ信じなくなった現代人の鎖は一層重くなっており、 魂も、天国まで飛翔できません。 だから、死が悲しいものになってしまうのです。 あなたも、そんな鎖を、自らの力と意志で解き放ち、 霊魂の自由を手に入れられたなら、 死は悲しいものではなくなるでしょう。 あなたも、この世に生まれて以来、現代社会にだまされてきたのです。 それを続けている限り、鎖は軽くなりませんし、死の脅威も消えません。 現代科学がもっともらしいことを主張しても、霊魂の存在は事実です。 そんなことは、身の周りをちょっとでも調べてみれば、 すぐに分かる程度のことなのです。 現代社会に調子を合わせるのを、やめるべきです。 そうしない限り、人々の悲しみが癒えることも無いのです。

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私も5日前に17年一緒に暮らした息子猫を見送りました。 最後5ヶ月は闘病生活でした。 外出して帰るときはいつも『あの子が待ってる。今日も無事で居てくれるかなー』と急ぎ足で帰っていました。 だからまだ癖でそう考えてしまい『あー、もう居ないんだ』と気付き、呼吸がうまくできなくなります。 玄関ドアを開ける時も。 トイレを見て『今日のウ○コはどうかな~』ってチェックしそうになる時も。 キャットタワーから見下ろす彼がいない時も。 6年前に娘猫を亡くしたときは色々なこと(仕事に行く、物を食べる、外出するなど)を通常の状態に戻すのに2年かかりました。 それでも未だに泣きます。 申し訳ない気持ち、寂しい気持ち、虚無感、喪失感、混乱します。 今もまた泣き続けています。新しい悲しみとたたかっています。 虹の橋の話を知ってから、できるだけ泣かないようにしてますが、我慢できないときは子どもたちに『ごめん、雨降らせて。寒い思いさせて』と言いながら爆泣きします。 抑えると体と心が破裂する気がします。 人それぞれ心が戻る時間は違うと思います。 そして多くの人が『いつになったら治るの?』という類いの言葉を投げつけてきます。 それを言われると何ヵ月も何年もメソメソしている自分がオカシイ感覚になり焦ります。 でも、悲しいものは悲しいし、それがいつになったらなくなるか、なんて自分ですらわからないんですよね。 ごめんなさい、なんだか、まとまりないことを書いてしまいましたが、自分の悲しみは否定しなくて大丈夫じゃないかと思います。 自分を愛して信頼してくれて、幸せをくれていたことにありがとう、と言い続けながら、すこーしずつ慣れていくしかないのかな、と私は感じています。 誰か一人でも話を聞いてくれる相手が居れば尚ラクにはなるかな。 めちゃくちゃで、ごめんなさい。

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宗教の経典や聖書や文献に記されているあの世の風景は、 この世のそれをほとんどそのまま持ち込んで それを理想化したものです。 ・キリスト教の天国の描写・ ⋯⋯新約聖書ヨハネの黙示録より 玉座があり上に座っている方は、碧玉や赤めのうのようである。 玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いている。 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っている。 玉座からは、稲妻、様々な音、雷が起こる。 また、玉座の前には、七つのともし火が燃えている。 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようである。 この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいて、前にも後ろにも一面に目がある。第一の生き物は獅子のようで、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようである。 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目がある。彼らは、昼も夜も絶え間なく「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」 と言い続ける。 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門がある。 都の城壁には十二の土台がある。 この都は四角い形で、長さと幅と高さが同じで、天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンである。また、城壁を測ると、百四十四ペキスである。これは天使が人間の物差しによって測ったものである。 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金である。 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られている。 第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶である。 また、十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一個の真珠でできている。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金である。 水晶のように輝く命の水の川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。 そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。 神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。 神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治する。 バラモン教の経典ヴェーダ文献によれば、 最高天は「光明、緑陰、酒や美食、歌舞・音楽に恵まれた 理想郷として表象されている」(中村元『ヴェーダの思想』P349)