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『麒麟がくる』では、どうやら明智光秀は信長の『家臣』でなく、

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回答(8件)

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織田信長が足利義昭を公方に奉じて 足利幕府の再興路線を取った時期、 京都を統治する代官か奉行の役目を 3~4人として、やっていたようで 京都代官は織田家臣や足利幕府の 直臣からの人選だったとされて 明智光秀も、この役目を負ったようで 信長と義昭が対立激化の時期、 光秀が幕臣、曽我助乗に代官職 だったとき徴収した京都の地子銭 (町衆に課す年貢)のうちで 代官役の報酬として得た分を 曽我に贈るから明智光秀が 足利義昭に仕えることを辞任 できるよう尽力を依頼した、 とされます。

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10月11日のドラマでは、義昭はまだ上洛して いませんから、信長の家臣ではありません。 「義昭に仕える」と言う、あの会話は、歴史の 事実にドラマを合わせたものと考えます。 歴史の事実から言うと、義昭と信長が上洛して 義昭は足利将軍になる。その直後、信長は美濃 に帰ってしまう。三好三人衆は、京都の義昭館 を襲撃する。信長の援軍が到着するまでの、 二日間、義昭の家来だった光秀は奮戦し、義昭 の命を守り切る。 この働きを知った信長は光秀に、家来になら ないかと誘う。光秀はOKして、琵琶湖の 西岸一帯は光秀の知行となる。 この地帯は、まだ信長の領地じゃありません から、光秀が統治したら、知行地とする意味 です。こうやって、光秀は信長の家来になり ます。光秀は将軍義昭の家来でもあります。 当時はこう言う事は普通でした。義昭は後に 反信長に転じますが、光秀はそのときから 義昭とは縁を切ります。 信長に仕えた光秀はその後、大活躍します。 織田家筆頭の出世頭と言われる程でしたが 本能寺で信長を討つことに。

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現代人の感覚でモノを言うと間違うと思うんですが、この時代には「忠臣は二君に仕えず」とか「君が君たらずとも、臣は臣たるべし」なんていう概念はありません。 主君なんてのは状況によってどうとでも乗り換えるのもで、次の主君に仕えるなら前の主君との縁を切らなければならない、なんていう常識もありません。 だから、明智光秀は普通に「両属」の立場だった、ってことで、いいはずです。将軍の家臣であり、同時で信長の家臣である、それで何の問題もありません。 てゆうか、信長を含め全ての武士は将軍の家来のはずなんだから、光秀が同時に将軍と信長の家来であっても、何の問題もないはずです。むしろ連絡役として便利だ、くらいのはずです。 だから、この段階で、信長が「俺の家来か、将軍の家来か、今ここで決めろ」なんて言う必然性は、史実としては、ありません。 しかし、これは「麒麟がくる」っていうドラマですから。信長の思想、光秀の思想、その二つはどこで相いれなくなるのか、という構図を、視聴者に分かりやすくするために、「はい、ここが第一の分岐点ですよ、ここで光秀にフラグが立ちますよ」という場面を印象的に入れる必要があります。 だから、このシーンは、史実云々いうなら嘘ですけど、ドラマとすれば「見せ場」なんです。フィクションの強味、ってのは、こういうところにあるはずです。 「麒麟がくる」の明智光秀は、どうやら「将軍病」にかかってます。 現代人の我々にしてみれば、いや戦国時代の常識からしても、かなりアナクロな思考の枠組みから抜け出していない、っていう様子が、昨日のドラマでどうやら明らかになりました。 武家の棟梁たる将軍が人格者で、それをみんなで支ええば、強引な戦争をしなくても、必ず良い世の中になる、つまり「麒麟がくる」。いわば「麒麟教徒」です。 このドラマに、いままで折に触れてできた描写のなかで「麒麟」という概念を口にするのは皆、十二代将軍・足利義晴と、その周辺にいた人たちです。明智十兵衛の父、それが命を助けた駒ちゃん、三淵や細川など将軍側近、そして善晴の息子である義輝と義昭(彼らはハッキリ、父から「麒麟」の話を聞かされてきたと言っています)。つまり、ドラマに顔も出ていない足利義晴こそ「麒麟教」の教祖様であり、現在その正統な跡継ぎである「麒麟教の教主」は間違いなく義昭である。「麒麟教徒」である明智十兵衛は、義昭を担いで皆で助ければ、筋目正しい世の中が実現する、そうすればおのずと戦争は収まる、戦のない世の中がくる、と確信している。 光秀は、現在のところ、この「麒麟教」の宣教師みたいなもんです。朝倉義景も、織田信長も、麒麟教に帰依してくれることを望んでいます。 しかし、織田信長は、どうも、この光秀の布教が「ピンとこない」ようです。 信長の考える「大きな国」において、室町幕府再興は一手段にすぎず、目的ではない。信長はもっと違う方法の国作りを考えている。 「わしは戦が嫌いではない」って、先々週、光秀に向かって堂々と宣言してます。強い目的意識をもって国をまとめる、大きな国を「力」でつくる、これは「信長教」ともいうべき、別の思想です。 どっちの家臣になるか、ってのは形式的な話にすぎません、真意は「義昭の思想と、俺の思想の、どっちに付くか覚悟を決めろ」って言ってるわけです。 「さあ十兵衛、おまえはどっち教を取る?」 と迫った信長は、ある意味、ルビコン河を渡った、と言えます。 つまり「オレは手を血塗れにして新しい日本を作る覚悟がある、おまえはどうだ十兵衛?」って言ってるんです。 十兵衛にしてみれば、これは今までの生き方からしても、相いれない立場ですから、信長の新思想にどうしても帰依できず、一旦、拒否しました。 この思想的な差異は、のちに決定的な影響をもたらすでしょう。ドラマの骨格というか設計図が、だいぶ明確に見えてきました。 十兵衛は、この青臭い理想主義の「麒麟教」から脱却する日がくるのだろうか? それとも本能寺まで、これを引っ張ってしまうのだろうか? てゆう話を、ここでやってるわけです。 史実云々言ったら、大ウソです。でも、これは「麒麟は誰が、どうやって呼ぶんだ?」っていう、ミステリー劇ですから。フィクションにはフィクションの文法があります。

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見続けてはいますが、大河ドラマまで、政治的に利用してしまうテレビに対し、何にも期待してはいません。 どこかの政党どおりの、反戦平和、憲法九条護持のため、改憲反対の、偏向的刷り込みのために、駒ちゃんと太夫というアウトローを駆使する。前回は、かなり露骨に描いていましたね。 だから、通説に反して「信長の『家臣』でなく、将軍の家来」の設定を見せられても、なぜ将軍の家来のママでいるのか、という光秀の考えが、なぜか描かれなくとも、そうかい、御勝手に。なんて思いながら見ています。

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今の麒麟がくるの話の段階だと幕臣だったと思います。朝倉にいた時に幕臣になり、織田信長との仲介役を行い上洛。その後もしばらくは幕臣のままでしたが、近江に所領(坂本城周辺)を得た辺りから織田家臣になったと思われます。 諸説はいろいろあって難しいのですが、現ドラマの段階なら幕臣、つまり麒麟がくるはわりと通説にそっているのかなと思います。ただ、麒麟がくるの信長のセリフ「幕臣か儂の家臣か?」が非常にインパクトがあって、実際にそんなやり取りがあったか考えさせられましたね。

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