>終戦間際、日本は大和を沈没させ、設計図等も処分しましたが、なぜ日本は大和の詳細を隠そうとしたんですか?}
特別、大和の設計図を処分せよなどの命令などではなく、全ては海軍大臣により※海軍に関わる※全ての資料を※処分せよとの※厳命が下ったからに他なりません。
これは、ポツダム宣言で日本の戦争犯罪人を峻厳に裁判することを降伏条件としたことからの事前処置でした。
これは海軍の軍事と関わる全企業、また行政では官庁から県庁、町役場まで徹底されたのは行政機構も戦前戦時体制において民衆に対米戦に協力させるよう邁進し国民を扇動したと判断されれば罪に問われかねないので完遂されたのです。
末端の町役場でも戦時に関わった資料はほぼ焼却され一部は古紙回収業者に売られたのです。
対して陸軍は証拠隠滅が不徹底で、東京裁判では東條内閣官僚と起訴中に死亡した永野軍令部総長を除き全員陸軍の軍人だった。
日本進駐にあたり米国調査団は各、研究開発関連施設を急襲し証拠物件を押収し、サイクロトロンは東京湾に破壊して沈められた一方、軍事関連資料は処分されていた為に研究員や関連技術者を招集し監禁同様缶詰状態にして記憶に基づき設計図など復元されたのです。
一部の設計図は関係者が自宅などに持ち帰り長らく隠蔽し、今日、大和の技術資料が一部発見されたり、ゼロ戦開発の堀越氏が無くなり、遺品から、これまで公開されていなかったゼロ戦の新資料となったと。