池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵ですが、実際に、鬼平のように、若いころは放蕩の生活を送っていたのですか?
池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵ですが、実際に、鬼平のように、若いころは放蕩の生活を送っていたのですか? 小説は、どの辺まで史実に近いのですか?
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実際の長谷川平蔵は「鬼平犯科帳」の鬼平とそっくりと言う訳ではないですが、全くの別人という感じでもありません。 当時は目明し・岡っ引きと言った町人を探索に使うことは禁じられていたのですが、平蔵は「40人の手下では江戸の治安は守れない」と、違法と知りつつ盗人のタレこみを使っていました。 平蔵の役宅には多くの小悪党が出入りし、その度に平蔵は飯と食わせ、時には衣類も与えていたそうで、そう言う小悪党からの情報を凶悪犯の取り締まりに利用しました。 悪党には恐れられた長谷川平蔵ですが、町人には人気があって夫婦喧嘩の仲裁もした事もあったり、誤認逮捕した者に拘束した日数分の日当を与えたり、管轄の違う小伝馬町牢屋敷に食事や衛生状態を探らせるため部下を入らせたりするなど、なかなか人情味のある人物だったようです。
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