池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵ですが、実際に、鬼平のように、若いころは放蕩の生活を送っていたのですか?

日本史 | 小説62閲覧

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学術的な本を読んでも若いころは多少遊び人であった的な話もありましたが、十八大通と呼ばれるほどではなかったとか。一応ウイキにも遊郭にも通い当時はやりの「大通」といわれた粋な服装をしていたと伝えられるとありますが。 十八大通と呼ばれるのは札差などの金持ちですので中級旗本ではそれほど余裕もないかと。

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若い頃は放蕩生活を送っていたようです。 また母は武家のでではなく庄屋の娘だったというのも本当のようです。 平蔵が心を入れ換えたのは父が京都町奉行の途中で死去したのがきっかけのようです。 鬼平の初手柄は播磨屋吉右衛門という大盗賊を捕らえたことだそうです。 鬼平を演じている中村吉右衛門の屋号が播磨屋ですから不思議な縁です。

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結局、若い頃の頃は不明 ↓のあだ名もよくあることで不良という証明にはならないからね とはいえ、皮肉やズケズケものを言うので 同僚や上役に嫌われてたのは確か けして出世したから嫌われてたわけではない

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wikipediaにはこう書いてあります。wikipediaに書いてあることをマルッと信じることはできませんが。 「青年時代は放蕩無頼の風来坊だったようで、「本所の銕」などと呼ばれて恐れられたと記録にある[注釈 7]。」 「注釈7 『京兆府尹記事』に「本所の銕と仇名せられ、所謂通りものなりける」とある[9]。「本所の銕」と19歳頃に出生地の築地から対岸の本所に移った時点でいわれていたことから、幼少の頃から不まじめな生活を送っており、地元のワルとして名前が通っていたのではないかという推測もある[10]。」 下っ端役人と回答してる方もいるけど42歳で火盗改の長になり、人足寄場の建設を立案した。その予算が足りなかったので幕府から預かったお金を相場で増やすという清廉潔白とは言えないような手段も使ったので上司である松平定信や火盗改の同僚からは嫌われた。

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池波先生の作り話です。空想力です。江戸時代、下っ端役人に、長谷川平蔵なる人物はたしかに存在した程度の史実に、自在に嘘っぱなしをくっつけてあの名作を書いたのです。すごい方です。あたかも実在した「鬼平」にしちまった。