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孔子の論語で、 30にして立つ 40にして惑わず 50にして天命を知る 60にして...

tod********さん

2009/2/2219:55:40

孔子の論語で、

30にして立つ
40にして惑わず
50にして天命を知る
60にして耳従う
70にして心の欲する所に従って…

というのがありますが、
これから派生してできた語が知りたいです。

15にして学を志す
から派生したのは
『志学』
だそうなんですが…
説明下手ですいません。
回答よろしくお願いします!

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cok********さん

2009/2/2221:49:50

子曰:吾,十有五,而志于学,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳顺,七十而从心所欲,不逾矩。

皇邢二《疏》皆说,此章是孔子隐圣同凡,劝人勤学。

「吾十有五,而志于学。」「有」字,音义皆同「又」字。古文句法,十有五,就是十又五,语体就是十五。孔子说:「我十五岁即志于学。」《毛诗传》说:「诗者,志之所之,在心为志,发言为诗。」依此解释,「志」就是心之所之,也就是一心趣向之意。「志于学」,就是专心求学。《史记孔子世家》说:「孔子为儿嬉戏,常陈俎豆,设礼容。」孔子在童年,即知求学。此处孔子自述十五岁志于学,皇邢二《疏》皆据《白虎通辟雍篇》解释,十五是成童之岁,心志坚明,故自十五始志于学。刘氏《正义》据《白虎通》说,十五岁是入大学之年,所学的是经术。刘氏又据《礼记大学篇》所说,始于致知格物,终于治国平天下,皆是大学所学的经术。

「三十而立。」皇《疏》:「立,谓所学经业成立也。」刘氏《正义》:「立,谓学立。」自十五岁,志于学,至三十岁,所学已成立。也就是学有根柢,有力,非外力所能摇动。

「四十而不惑。」孔安国注,「不惑」,就是不疑惑。程氏树德《论语集释》,引黄式三《论语后案》:「立,必先不惑,而言不惑于立之后者,何也。夫子曰,可与立,未可与权。立,守经也。不惑,达权也。」「不惑」,遇事可以行权,无可,无不可。「立」,则是:可即可,不可即不可。不知权变之道。所以「三十而立,四十而不惑」。

「五十而知天命。」「天命」,就是天的命令。如刘氏《正义》引《汉书董仲舒传对策》曰:「天令之谓命。」刘氏《正义》说:「知天命者,知己为天所命,非虚生也。盖夫子当衰周之时,贤圣不作久矣。及年至五十,得《易》学之,知其有得,而自谦言无大过。则天之所以生己,所以命己,与己之不负乎天。故以知天命自任。命者,立之于己,而受之于天,圣人所不敢辞也。」孔子学《易》,乃知天命。吾人虽闻天命,未必能知,须先信赖圣言,以求知之。

「六十而耳顺。」郑康成注:「耳顺,闻其言,而知微旨也。」皇《疏》:「但闻其言,即解微旨,是所闻不逆于耳,故曰耳顺也。」皇《疏》又引李充说:「心与耳相从,故曰耳顺也。」顺字,《说文》:「理也,损页川。」段注以为,自人之头顶至脚踵,如河川流通,至为通顺。顺之而后,始见天理,始着条理。由此可知,「耳顺」就是耳的功能已经通顺自己以及他人的心理,故能闻他人之言,即知他人的心意。此是耳闻无碍之境。

「七十而从心所欲,不逾矩。」从心的从字,作顺从讲。「矩」是端正方形的工具,《说文》作巨,引申为法度之义。孔子至七十岁时,顺从心之所欲而不逾越法度。顺心而为,自然合法,也就是动念不离乎道。

程氏树德《论语集释》,引明儒顾宪成《讲义》说:「这章书,是夫子一生年谱,亦是千古作圣妙诀。」顾氏以为,孔子自十五志于学,至四十而不惑,是修境。五十知天命,是悟境。六十耳顺,至七十从心,是证境。顾氏此说,大有道理。

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the********さん

2009/2/2220:00:39

30「而立」 40「不惑」 50「知命」 60「耳順」 こういうことですか? 70はよくわかりません。

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