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戦艦大和の最後の出撃の目的って、本当に「沖縄に上陸して固定砲台にする」なんていうちょっとあり得ない目的だったんですか?

日本史 | ミリタリー327閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

回答(14件)

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それはあくまで上手くいったらであって、その際に陸戦隊を組織して上陸して戦闘する為の物資調達用の現金を積んでいたようですが、本当は、陸海軍合同のアメリカ上陸部隊への大規模特攻作戦の一員として、空の特攻隊への迎撃を軽減させる為の囮の役目である方が意味合いが強く、また、戦争が終わったあとに、大和が無傷で残っていると国民世論で非難されるのを恐れて、死に場所を与えたのも目的の一つです。それと航空隊から、我々は日々犠牲を払って戦っているのに、水上艦艇は何も犠牲を払っていないじゃないかとの非難に対して水上艦艇も特攻出撃することで、軍内の軋轢の解消もあります。 出撃を命ぜられた大和以下第二艦隊の乗組員に納得してもらうには、自慢の主砲や魚雷で敵を倒す可能性があるがごとく、固定砲台となれと命じたのですが、それは無理でしょうと乗組員は内心は思っていますが、連合艦隊最後の意地を見せてやると自ら鼓舞して出撃しました。

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大和ホテルのまま終戦を迎える訳にはいかなかっただけ。 武士の情けじゃ、自分で切腹しろ!介錯はアメリカ軍じゃ~!

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なぜ沖縄へ大和を・・・やらなければ、沖縄を見殺しにする事に成る。 菊水(天一号)作戦は陸・海の全てで、大和だけではない。 連合艦隊司令長官である豊田副武大将は、「大和を有効に使う方法として計画。成功率は半分もなし。うまくいったら奇跡。しかしまだ働けるものを使わず残しては、現地将兵を見殺しにする。だが勝ち目のない作戦で大きな犠牲を払うのも大変苦痛。しかし多少の成功の算あれば、出来ることは何んでもやらねばならぬ」という気持ちで決定したと回想している。 【坊ノ岬沖海戦】。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%83%8E%E5%B2%AC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6 ※ 大和以下の艦隊を沖縄本島に突入させて艦を座礁させたうえで砲台として砲撃を行い、弾薬が底をついた後は乗員が陸戦隊として敵部隊へ突撃をかける。 呉軍港も米軍の空襲を受ける様に成り、昭和20年3月末にB-29が関門海峡と呉近海を機雷封鎖したため、呉軍港と広島湾は機雷で埋め尽くされた。大和は三田尻沖から「呉」へ戻れなく成り、もはや「呉」は、大和にとって安住の地では無くなってしまった。空襲で回避運動を続けても、莫大な燃料を消費する大和。レイテの敗北で原油の供給は断たれ、1番肝心な油が無い。みすみす戦わずして、米軍の空爆に晒されるなら(座して死を待つより)…と云う事ですよ。 原 勝洋:著【真相・戦艦大和の最後】(KKベストセラーズ)の124・125ページに 「連合艦隊司令部が実施した(沖縄特攻作戦図演)では(大和)が沖縄に辿り着けないという結論を示していた」…「第一に油が無い。日本国内の燃料貯蔵量は極端に逼迫し…燃料状況は平常行動用としておおむね戦艦、巡洋艦が12ノットで一昼夜半、駆逐艦二昼夜分といった有様だった」。 レイテの敗北で↓動かす油がない呉軍港の【”軍艦の末路”】。 https://www.youtube.com/watch?v=T7t2FIqtLQk 後部10cm砲から対空弾を放ち、賢明に「大和」を守る 第二水雷戦隊の↓駆逐艦【冬月】。

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戦争も末期に入ると普通のおつむを持っていれば敗戦は目に見えていたはず、大和なんぞすでに無用の長物、軍部では処分に困ってそうしたのはだれしも知ったこと。

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それは建前です。 軍艦の大砲は水平でないと砲弾の装填や砲塔旋回が出来ないので 座礁したら撃てませんし、沖縄の陸軍と大和は無線接触 出来ていないので、仮に大和が沖縄にたどり着いても 着弾観測が不可能なのでどこに大砲撃っていいか分かりません。

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