ベルリンの壁って西ベルリン周辺だけでなく、ヨーロッパ全土(東西ドイツ〜ユーゴスラヴィア)まであったって本当ですか?

補足

もう一度見直したところ、やはり、 ドイツからユーゴスラヴィア、イタリアまでチョークを引いて、「全てベルリンの壁です」、そして、「最初に穴が開いたのはオーストリアハンガリー国境で、早稲田の入試に出たことあります」と仰っています。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん解答ありがとうございます。 BAは一番最初の方にさせていたただきます。

お礼日時:2020/11/19 15:49

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ベルリンの壁 は ベルリンの 英米仏の管理地をぐるりと取り囲む壁です。 東西ドイツの境界や 共産勢力と 西側自由諸国の間は 勿論 鉄条網などで仕切られ これを 鉄のカーテンと読んでいた。 ただ ベルリンの壁 は 東の共産圏国家 と 西の自由主義国家 の分断の象徴なので もう一度見直したところ、やはり、 ドイツからユーゴスラヴィア、イタリアまでチョークを引いて、「全てベルリンの壁です」、そして、「最初に穴が開いたのはオーストリアハンガリー国境で、早稲田の入試に出たことあります」と仰っています。 は間違いです。ただし 鉄のカーテンで分断された 東西ヨーロッパの 詞きりの象徴としての表現は有るが 早稲田の入試なら 東西の鉄のカーテンに対する表現のはず。 もし ベルリンの壁が 東西分断の国境線に建設された と言う意味合いの内容なら 早稲田の 大チョンボ になる。 正確に その入試問題の 全文を確かめる方が良いと思います。 ベルリンの壁 https://mainichi.jp/articles/20191030/kei/00s/00s/007000c 鉄のカーテン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3 1989年5月、改革を進めていた時のハンガリー首相ネーメト・ミクローシュにより、ハンガリー・オーストリア国境間に存在した鉄条網が撤去された。ハンガリーの西欧復帰を目指した政策の一つであったが、これが鉄のカーテンに穴をあけることになった。 これと 壁 の混同です。 鉄のカーテンという 境界に 風穴があいた つまり スターリンによる共産主義の 崩壊の最初の兆しです。

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物理的には壁はベルリンだけでは。 講師の方は東側(ソ連圏)西側(欧米圏)を分ける境界の象徴として抽象的な意味でベルリンの壁を比喩で使用したのでは。ソ連崩壊のことをベルリンの壁が崩れたと表現する趣旨でしょう。

比喩的表現でしょう 物理的な壁はベルリンだけ 東側陣営と西側陣営の国境をそう表現しただけでしょう ミスリーディングな説明ですね