平氏の中には早いうちから源頼朝に臣従していたり、源義経に従って平家討伐していた人物もいたのでしょうか?

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質問の主旨は「坂東平氏は別として、平家(つまり清盛の近い親族)で早い段階で頼朝側についた者がいるか」ということでしょうか? それであればいません。 保元の乱や平治の乱が都人の内乱なのに対し、頼朝の旗揚げは都に対する坂東の反乱です。板東には清盛一族は根を下ろしていませんでした。

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いましたよ。 頼朝の旗揚げに同行したかの北条氏は、まさに平氏です。 頼朝一派VS清盛一派の戦いは、便宜上源平合戦と呼ばれますが、実際には源氏と平氏が両陣営に入り乱れて戦っています。 清盛側の源氏もいれば、頼朝側の平氏もいます。 家ごとどころか、親兄弟とか叔父と甥とかでも敵味方に分かれて戦っています。

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北条家=平氏は眉唾な部分はあるが、むしろ頼朝を御輿として担いだのが平氏の中の坂東平氏だったといっても過言ではない。 初期から従った三浦党と中村党、従った事で形成逆転をした両総平氏、その後に従った秩父党や村山党。 最後まで敵対した鎌倉党の中にも内通した梶原景時。

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そもそも、頼朝の旗揚げに真っ先に従った北条氏は、れっきとした桓武平氏です。そのほか「源平の争乱では、平家に対峙した源頼朝と初期は敵対する氏族が多かったが、抗争を経つつ、相模・伊豆・武蔵などの坂東八平氏が多く参加し、千葉常胤、三浦義明、畠山重忠、江戸重長、梶原景時などが各地で転戦、頼朝が開いた鎌倉幕府の創設に尽力して、その功績で御家人としての地位を確立する。」(ウキペディア.坂東八平氏より)という状態です。 いわゆる源平合戦の実態は、関東の武士団VS伊勢平氏とその傘下の武士団の抗争です。源氏対平氏ではありません。