織田信長と武田勝頼。和睦交渉の甲江和与。 甲江和与の詳しい内容が知りたいです。 特に時系列で説明して頂くと凄く助かります。
織田信長と武田勝頼。和睦交渉の甲江和与。 甲江和与の詳しい内容が知りたいです。 特に時系列で説明して頂くと凄く助かります。 既に知っている要素として、 ・信長養女の子である武田信勝の家督相続 ・信長の5男織田勝長の返還 ・佐竹義重の仲介 ・安土に赴いた武田家使者が安土城下に長く留められ信長に面会されなかった?された? ・信長は和睦交渉に応じる気はなさそうだった 織田信長に和睦交渉に応じる気がないなら織田勝長返還する必要なかったのに。 交渉する構えみせてしてくれなかったんですかね 詳しい方教えて下さい。 宜しくお願い致します。
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状況的にまずかったのは武田方になります。なので先に織田勝長を返すことで「交渉してくれませんか?お願いします」と下手から入らないと行けませんから返還となりましたが、長篠前ならいざ知らず、もう信長としてはいずれ滅ぼす気満々でしょうね。 順番はおおよそ貴方が上げるとおりで、まず足利義昭により武田、上杉、北条の三国同盟を打診されますが、上杉が北条との同盟を拒否。その上上杉謙信が死去したことで御館の乱が発生、これで甲相同盟も破綻。遠交近攻のため武田は佐竹義重と同盟。次いで安房の里見と同盟。なお、甲相同盟の破綻により徳川と北条が結びます。 甲江和与を模索した武田は勝長の変換と、徳川家をも刺激しないために遠江方面の軍展開を縮小。その状況上のため武田勝頼は高天神城を見捨てたとされます。ただ、信長はこの時に家康に助命を許さないよう指示するなど、既に和睦する気は信長にはサラサラなく、また武田を朝敵であると朝廷に認めさせるなど、武田征伐を着々と信長は始めています。
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