キャプテン翼連載当時の日本のサッカー事情について教えて下さい。
キャプテン翼連載当時の日本のサッカー事情について教えて下さい。 キャプテン翼が連載されてた80年代、Jリーグも発足していなかった当時にサッカーのみで生活するにはどういう手段がありましたか? 作中にあるように中学卒業後に海外へサッカー留学し、海外でプロになるというのは現実的だったんでしょうか? また中学サッカーの全国大会や世界大会って実際にあるんでしょうか?
ベストアンサー
当時の日本サッカーの最高カテゴリーは日本リーグ(JSL)。 日本リーグに所属する三菱重工やヤンマーなどの実業団チームに入社することがトップ選手の歩む道です。 実業団チームは60年代からセミプロ化していっていますが、80年代にはそもそも実業団チームではない読売クラブ(現東京V)は事実上のプロチームでしたし、日産(現横浜M)もプロ志向が強くて事実上のプロチームに近いチームでした。 なお、この2チームが80年代からJリーグ発足までの日本サッカーを牽引したチームです。 よって、読売クラブか日産に入ることがサッカーのみの生活に一番近かったといえるでしょう。 また、86年にプロ選手の奥寺康彦の帰国をきっかけにスペシャルライセンスプレーヤーというプロ選手の登録制度ができるなど、それまで形式上はアマチュアだった選手が正式にプロ選手となる制度が徐々にできていきました。 そして、その先にあるのが93年Jリーグ開幕、つまりはプロリーグの発足です。 日本リーグのチームを経ずに海外でプロになるというのはイレギュラーな道となりますが、水島武蔵の例があります。 ちなみに水島武蔵が翼くんのモデルといわれています。 三浦知良はキャプテン翼連載中にブラジルに渡っていますが、水島武蔵に続いた形。 中学サッカーの全国大会は当時からありますよ。 世界大会は当時も現在もありません。 一番下のカテゴリーの世界大会はU17W杯で、キャプテン翼連載中の85年スタート(当初は16歳以下)。 ただ、企業が開催するような中学生年代の国際親善大会は昔からあると思います。
質問者からのお礼コメント
詳細に丁寧で分かりやすい説明ありがとうございました。
お礼日時:2020/11/28 7:42