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死者を鎮魂する言葉です。 著しく理想主義的で、悲惨で非合理的な現実をゆるせない ことから、真実を受け入れることよりも、 幸福感を増大することを望んでしまう。 そこから、<真実を知ること>よりも<思い込み (信じること、確信すること)>を望んでしまう。 遺族としても、そのように言われれば、慰められるわけです。 (例えば、愛する子どもを失って悲しみにくれる親にとって 「あなたのお子さんはあの世で生きていて、 また会うことが出きるのです」というウソほど、 その親の幸福感を増大させるものはありません。) 「ウソを言ったら閻魔大王に舌を抜かれる」 というウソが人を正直者にし、 「あなたはガンではありません」 というウソが人を幸福にします。 ウソは人を幸福にすることがあります。 しかし、 「幸福感を増大させるからそのウソは正しい」 とは言えません。 ある教義が人を幸福にする、有徳にする、 だからそれは真理である、とはなりません。 不幸にし邪悪にすることが同様に反対証明にはなりません。 たとえ極度に有害危険なものであろうとも、 それが真であることを妨げはしません。 ある教えが「人を善人にする、幸福にする」 というようなことは、 その教えが真理であることを証明することにはなりません。 宗教は、 病院や学校を建て、貧者を救い、弱き者を助ける、 穏健な善人活動を行う運動をしたりします。 しかし、そのような善人であっても、 その人が信じてる事柄が真理であることにはなりません。 善人であるが故に、 その思想の虚偽性が疑われることを免れている、 というのが人間社会の現実です。
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