丿貫と言う方は、茶の湯の世界ではかなり有名なのですか。 別に、千利休だけが特別な存在でもないわけですか。
丿貫と言う方は、茶の湯の世界ではかなり有名なのですか。 別に、千利休だけが特別な存在でもないわけですか。 千利休は茶の湯を大成したという評価になっていますが、もっとすごい人がいっぱいたのでしょうか。 侘び寂で言えば、丿貫と言う方のほうが極めていたのでしょうか。 漫画で名前を知りまして、いろいろ調べているのですが、知っていないとまずへちかんとは読めないですよね。 「ノ」のような字は、丿部(へつぶ)という部首らしいですね。 死期を悟って生前の文物を燃やしてしまったので、何も残っていないのですか? まして誰かが子孫を語って丿貫の名前を使って金儲けをするようなこともなかったのですか。
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ベストアンサー
茶道について、点前だけでなく、歴史や道具、侘びの成立など知識も学んでいる人にとっては、当然知っているべき人です。 この方のユニークさに惹かれる茶人も多いでしょう。 ただ、利休より「もっとすごい人」の「すごい」の基準は何になるのでしょう。 スポーツなら、ホームランを何本打ったとか数字で凄さは出るでしょう。 でも茶道は、誰々の点前が素晴らしかった、と誰かが日記に書いたとして、それを客観的に別の人とは比べられません。 茶の湯の名人であるためには、大名の茶頭になるくらいに需要がなければ茶人として認められない時代だし、それが当然だと思います。自称画家とか自称歌手の中に、すごく上手い人もいるかもしれないけど、大半は自称の人はやっぱり売れない理由があるもので、ちゃんと売れてないと職業として認められないのと同じ。 その中で、丿貫はそうした職につかないのに、茶人たちに一目おかれ、北野大茶会でも注目を集めた事実は、非常に稀有なユニークな存在だと思います。 ただし、一定の場所に留まらず、大名にも仕えず弟子も育てず、子孫もなく、という人ばかりが茶人なら、安土桃山時代には話題になっても後に伝える人がなく、茶の湯は歴史の中に埋もれていったでしょう。 絵図を見て、昔、茶の湯というものが流行った時代があったんだなー、と想像するだけで。 清貧こそ侘びの境地だと、釜や茶碗一つだけで、あばらやに住む暮らしを理想とするなら、 数々の茶室の名建築も、名陶も生まれず、茶の湯は修行僧のようなごくひと握りの人がやるものであったでしょう。 今の時代に茶道が残ったのは、大名に茶道を好む人がいたり、茶人が弟子を取ってきたからこそ残っているし、 利休は侘びを突き詰めたからすごいのではなく、 後の日本家屋の建築や、陶器、漆器などにも影響を与えたところが大きいのだと思います。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。
お礼日時:1/4 22:30