発達障害の自閉症スペクトラムの人は昔は福祉や支援が受けられなかったのですか。

2人が共感しています

ベストアンサー

4

4人がナイス!しています

その他の回答(9件)

3

昔は今より、障害者に対する偏見があったので、うちの子は障がい者じゃない!ってキレて病院(精神科)にいかない親が多かったのもあります。 私の世代30代は子供が障がい者と言われても怒りませんが、昔学校で、先生から発達障害があるかもしれませんと先生に親が言われて、うちのこは障がい者じゃない!勝手に障害者にするな!!ってキレてるお母さんいましたよね。 発達障害は心理学を習うので先生たちは幼稚園の先生でもみんな知ってるし、昔から子供の研修があったので、おかしいのはわかってたとおもう、少なくとも30年前からは。 というか今も40代以上のひとには、障害者に認めたくなくて精神科に連れていかない人いるとおもいますよ。

3人がナイス!しています

2

現在自閉スペクトラムでアスペルガーですが、診断が35歳、 現在42歳で障害者手帳と年金受給をしている主婦です。 昔はなかったですね〜。私が子供の頃にあった江口洋介さんの ドラマで、一つ屋根の下というのがあったんですが、その弟が 事故ったせいで足が不自由になり、凹んで引きこもり&緘黙に 陥っていたと言うエピソードがありますが、それを自閉症ってドラマ で言ってるんです。緘黙や引きこもりと自閉症は全く違う疾患です。 でもテレビで放送してしまうレベルで当時は発達障害の知識は なかったんです。うちの母が教師をしていて、私が大学生くらい になる2000年ごろに、やっと教育業界でもそう言った障害がある と勉強し始めていた記憶があります。私それちゃうの?と思った んですが、まさかねー普通に話せてるし、国立大学も行ってるし、 違うか〜とその時でもスルーでした。 そんな感じで私は今は年金までもらっていますが、子供の頃は 健常児として暮らしていました。当然生まれつきのものなので、 他の子よりできないことが多く、聴覚過敏もひどかったので授業は 全く聞けていませんでした。独学で授業中は絵ばかり描いてました。 特別な療育などもなく、ただただ変な子で片付いていましたし、 新学期や休み明けのたびに高熱で倒れたり、あまりにうるさいのが しんどくて保健室によく避難もしていましたが、ただのサボり野郎 扱いでしたね。学校は落ち着かなくてものすごく疲れるんですが いっつもだるい厨二病みたいなカテゴリに入れられて怒られたりも していましたが、幸い私はメンタルが丈夫というか鈍感だったので 「そんなこと言われてもしんどいもんはしんどいねん」としか 思ってませんでした。いじめにも遭いましたが理不尽だわと不満 だっただけで、あまり辛い思いはしてこなかったんですが、辛い 人は辛いでしょうね。 記憶力がまずいので、暗記等はからっきしでしたが、一方でできる 分野は非常によくできるので、IQでいうと70から130と極端でして 勉強でも好きなやつしか頑張らない(頑張れないだけですが)、 やればできるのにだらしないやつみたいなポジションが多かったです。 今ならちゃんと適正を捉えて対処してもらえたのになと思います。 ですが伸びる面を活かして小学校の先生にまでなっているので、 療育クラスに行っていたらそこまでなれたかな??と思うことも あります。ちゃんと見て欲しかったなという面と、そうじゃない のが良い場合もあるのかなという面とどちらもあります。

2人がナイス!しています

1

横浜の発達支援センター行きましたが最悪でした。 太ったおじさんの相談員が出てきて 発達障害っていうのは特別な才能があるんだけどあなたはないでしょ? と意味不明なことを言われました。 仕事も勉強もできなくて親に殴られて辛いといったら 女性の相談員に、「鉄拳制裁の親御さんね〜笑。」 と笑われました。 病院にも行っているのにあなたは発達じゃない、 うちでは何もできませんからと追い出されました。 (病院で診断済みなのに) 会話内容は全て事実で記録がとってあります。 相談員の名前もわかります。

1人がナイス!しています

4

そもそも発達障害だの、自閉症スペクトラムだの、今無数にあるような、 誰も根拠やその医学的・科学的な信頼性を確認する事なく、 病名の名称や、名称の”字面”からの連想だけで思い込みをする、不幸ぶる、 大騒ぎする、絶望して”見せる”など、同じことは80年代後半から90年代に かけて、鬱病や神経症や分裂病などの名目で”誤解と勘違いと思い込み” が繰り返されてきました。 当時も洋画で著名な作品があったりして多用されていた”自閉症”という 用語は、そのイメージと”自閉”という字面の語感から、実際に医療の 現場で扱われていた領域から簡単に逸脱した、さまざまな派生の概念の ほうが広まり、それぞれ好き勝手に利用されていました。 8~90年代のそういう混乱した、医学や学術的な意味と ほとんど無関係な、メディアやマスコミ経由で広まった誤解の 一般庶民間の”ブーム”が背景にあり、しかも全く途中で立ち止まっての 客観的な精算や冷静な検証など行う暇もなく、 ネットの普及でさらに誤解と勘違いに歯止めが効かなくなりました。 これが物理的な現象への理論やその解釈をめぐる混乱であれば、 時間が経てば、どんなに混乱していようが、 間違った理論や捉え方はいずれ辻褄が合わないので、役に立たない事が 確実に発覚する事になり、そう長い間保たないはずなのですが、 事が人間のそれぞれの”価値観”や”世界観”、”物事の捉え方”という ”主観的”な物の場合、ただ単に多勢への説得力とか、 または己自身への表面上の安心できる”理由づけ”の為に、その説明づけ や証明の仕方は、それこそ人の数だけいくらでも多様に設定可能です。 そんなものに、科学の一種である医学の”お墨付き”を与えてしまったら・・ しかしもうこれは既成事実になってしまっています。 無数の客観的判別方法が無い病名をやたらに開発し、普及させること、 「病名」ということは、ほとんどの場合、何かが「劣等である」と レッテルを貼る事に他なりませんが、道徳心の暴走は、薄弱な根拠で 対象にまったく無根拠な制限やひけめを与えている事に鈍感なばかりか、 さらにわざわざ自分で相手を勘違いの論理で貶めておいて、そこから ”弱者救済”や”補償”の名目を”国”から引っ張り出して与える事で、 まさにマッチポンプな自作自演の弱者救済演劇をやっているだけです。 ナントカ病、ナントカ障害。ナントカ症。 その概念さえなければ、そのほんの数十年前を見ている世代にとって、 当時どこにでも見られた、または自分自身にも経験のある普遍的な人間の 行動の特徴や悩みでしかなく、当時ほとんど誰も、それが「病的な異常である」などと、当事者すら考えもしなかった事であり、 だからこそ何らかの病気のせいだ、でも保障が受けられない不遇、 などという発想がそもそもないので、それに頼る事なしに生きてきている人々が大勢いる(何人かは私も実際に見ている)、むしろ そんな発想があったら、おそらくそれに流されてしまったのではないのか? 余計なお節介の概念のせいで、考えることや生きること自体を最初から 捻じ曲げられた人たちは、もう一体どのくらいの人数になってしまったんだろう? 無ければ頼ろうとする弱い心が囚われる事もなかった事に、 科学的、医学的根拠があれば別だが、もし無かったか薄い場合、 これほど悪質で誘惑的な甘言というものが、かつて他にあっただろうか? そして多分、長いことその誤解を元に全てを考えて生きてきたら、 それが紛れもなくその人の現実で真実になってしまい、到底、 実はこれらの病名に意味はないこと、科学的で医学的な、客観的な 理論に基づく”観測”や”検査”の結果の診断ではない、ただの担当医師の ”主観”的感想に基づいたものでしかないことなど、認めるわけには 絶対に行かなくなるしか、無い。 この虚構を継続しなければならない事情を背負った人間は、当事者と その近親者だけではすまない。 すでに膨大な人数がこれに巻き込まれて既に半生を生きてきており、 その虚構の世界は拡大の一途でしかないのでしょう。 これらの本当の意味での”病理”の浸透は、広く国家レベルの社会にまで 容易に浸透していき、そして容易には完治も根治もできないものであると、 思います。

4人がナイス!しています

3

私の兄(50代)が子どもの時、集団に馴染めずに違和感がある兄は保育園時代から浮きまくる存在でした。保育園が嫌で嫌で仕方がなかった兄は「赤の日(日曜日)が来ると休める」と日めくりをぜんぶめくってしまったそうです。 好き嫌いが激しく、食べたくなくても食べることを強要され、ごまかすことも反発することも、嫌いなものを飲み込むこともできず、ずっと口に入れていて、家で吐き出したとか。 人間関係がまったくダメで学校ではずっといじめられ、母はあちこちに相談に行ったそうですが、どこに行っても「障害はない、育て方が悪い」と言われ、母は障害(知的)だったらどんなに良かったか…と思い、兄自身は「みんなが人間なら、馴染めない自分は宇宙人か」と思ったらしいです。 それでも学生時代は頭が良かったから、なんとかなったけど、就職で失敗して、職を転々として、最終的にパートで、母の介護を理由にまた辞めて、今は50代半ばで無職です。 私の子どもが発達障害とわかり、その子よりもっとひどい特性を持っている兄が、どうして今まで何をやってもうまくいかなかったのか?がわかったけど、いまさら…と言う感じで診断を受けず、いまだに何の支援も受けていません。

3人がナイス!しています