「推し・ファン」のとらえ方・あり方についての質問です。
「推し・ファン」のとらえ方・あり方についての質問です。 可能であれば現在「推し」と呼ばれる存在を持った方の回答があるとありがたいです。 皆様にとって「推し・ファン」とはどういう定義なのでしょうか? 私は30代の男性ですが、最近友人と話した際に出た「推し」という表現に引っ掛かりを覚え、質問をさせていただいております。 最初は何気なくそのアーティストのファンなのかな?くらいに考えていましたが、よく話を聞くとかなりのめりこんでいるようでした。 私も好きなアーティストはいますし好きな俳優等もいますが、彼らの表現物(歌やCD、出演している特定の映画やドラマ)は好んで視聴・購入するのですが、その方々本人のことは一切興味がありません。 私はその作品(表現)が好きで結果的にアーティストを評価(時間やお金を使う)しているのであって、アーティストそれそのものは自分の好む作品(表現)を世に出しさえしてくれていれば、そもそもどうでもいいといった感じです。 特に親しい人でもないので、死んでしまったら(今後その人の新しい表現物が出てこないので)悲しいくらいです。 役者等に対して「その人の演技が好きだからその人に投資する事で役者の評価を上げ、演技を見る機会を増やしたい」ということであれば理解できますが、演技ではなく役者個人そのものを(役者としての表現以外に)好きになることはやはり理解できません。「好きなアーティストが尊い」等は私にとって全く理解ができないのです。 しかし、友人はそのアーティストのツイッターやインスタグラムをチェックし、その一挙手一投足(アーティストの表現とは一切関係ないこと)に喜んだり驚いたりしています。 実際様々なアーティストで追っかけ等がいる以上その辺は割と一般的で、私のような人間が少数派なのかとは思いますが、いまいち理解ができません。 そのことについて本人に質問したところ、上記の「推しだから」という回答があったのですが、そこがまたしっくりきません。 言葉の定義的には「他者に推薦する・応援したい」といったのがある様ですので、好きな漫画(歌手)ある(いる)?→○○面白いよ(いいよ)くらいのことが「推し」ならさらっと納得できますが、昨今の「推し」という言葉の使われ方はどうも(お金や時間のつぎ込み様的に)そういうレベルでは納まっていないようですし。 ネットで調べると似たような疑問とそれに対する回答はあり、「恋愛はLove,推しはLike」「アイドルとは恋愛・結婚は出来ないし、同性の推しもいるから恋愛感情ではない」「ただ幸せになってほしいだけ」等々ありました。 ただ、そういったことで(表現物や特定の見返り抜きで)あれだけ時間とお金を投資することが理解できないのです。 というか、上記の条件なら(家族仲がいい前提ですが)まず家族が推しになるのでは?(好きだし幸せになってほしいし結婚もできないし恋愛感情もないし) また「その人の夢を応援したい」という意見についてもまず(幸せになってほしい)身近な人を(お金と時間を使って)応援したら?とも思ってしまいます。 ちなみにその友人は上記の恋愛と推しは違うという話を恋人に説明したそうですが、理解が得られないと言っていて、私も理解できないというのが正直なところです。 趣味を認めるとかそういう話ではなく「恋人・夫婦・家族や友人以外といった個人的に親しい人物以外の人間を対象とした見返りの発生しない相当量の投資(お金や時間)をする」ことに違和感を覚えるのです。 そういった人物が周りにおらず、その代償行為としてならまだ理解できますが、どうやらそうでもないようなので。 良いとか悪いとかではなく、理解できないので知りたいという観点で質問させていただいております。 ご回答よろしくお願い致します。
男性アイドル・58閲覧・250
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