村上「海賊」っておかしくないですか? 今夜のNHKブラタモリは「村上海賊が海賊らしくない」というテーマでした。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

最近の動きを知りませんでした。 NHKは、それを話題にしたかったのなら ひと言触れてくれればよかったのですが たぶん、ブラタモリのたもりさん称揚主義に あわなかったのでしょう。 勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:1/19 22:17

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Pirates を 海賊 の日本語を当てたのが問題なのかな。 村上さんは、海賊 だけど Pirates ではない。だと納得ですかね? でも、、、村上さんPiratesな行為もやっていたようですし、Piratesも荷の運搬や、貿易もやっていたと思うし、国から任命されて略奪行為していた公認Piratesもいたようですし。。。 蜂須賀小六さんは川賊でしたっけ?墨俣城のお話、実話かどうか知りませんが、見事、木曽の木材を川を使って運搬したそうですね。 っとすでに詳しく解凍してくれている方々がいるので蛇足ですね。 実際は、造船、海運、兵器開発、施設軍隊 etcの巨大コンツェルン、 村上グループ 総裁の村上武吉!! って蛇足してみるw

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Piratesとは離れても、海賊の語感自体 賊とある以上、やはり悪意の評価があるように思います。 実態は、水上で小さいけど 陸の戦国大名とあまり違わないらしいことが確認できました。 ありがとうございました。

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2021/1/17 0:57

平安時代には「海賊」の文字が登場し、村上水軍なども当時は「海賊」と呼ばれていました。 同時期に家族親族経営とか小地域住民経営による強盗集団(海上賊徒)もいて、それらとの区別として「海賊衆」とか、要人の航行時の警備を請け負うことがあり「警固衆」、あるいは海上で通行料を徴収したので「海の関」略して「関」と呼ばれたりしました。 「水軍」という言い方は明治の学者さんが使い始めて広まったと言われていますが、江戸時代後期には軍学書に「水軍」という言葉が散見するとの話もあります。 ブラタモリで塩の話が出ましたが、しまなみ海道周辺はかつては塩年貢の荘園で、最初は塩などの年貢を生産者自ら荘園主に届けなければならず、代表者が輸送していましたが、そうした者の中から近隣の年貢輸送も請け負う回漕専門が現れ、また荷を狙う強盗から守るために武力を備えるようになりました。 じきに荘園主である朝廷とか寺社から派遣された者と契約して年貢品の輸送を引き受けるようになり、要人の瀬戸内海航行時の警固(警護)を頼まれたり、代償として瀬戸内海航行の船の通行料徴取を認められるなどしました。 明国との貿易は最初は幕府だけでしたが、その後有力な守護たちも加わる中で村上水軍なども参加しました。 村上水軍などの水軍の頭領や家臣の武将たちは武士であり、一定の文化水準と戦闘技術を持った集団であり、性格的には陸上の大名と変わりません。海の盗賊である「海上賊徒」とは全く別物です。 和田竜さんの『村上海賊の娘』でしまなみ海道が賑わった頃、来島村上氏など水軍に詳しい松山大学の山内譲教授とか、ブラタモリで説明していた村上海賊ミュージアム(最近改称、以前は村上水軍博物館)の田中謙学芸員といった人たちから、「海賊」と呼ぶのが本来であり、「海賊・海賊衆」を正しく知ってもらおうというルネサンスが始まったかと思います。 山内先生はこの件で各地で講演しており、そのひとつに参加させていただいたとき、最後の質問タイムで村上水軍の子孫の方から「海賊の子孫だということで、自分はまだいいが、子どもたちが心配だ」との話が出ました。 実際、それまで村上水軍とは言っていましたが、海賊という言葉は禁句であり、『村上海賊の娘』で初めて村上海賊と聞いたように思います。 昭和初期まで瀬戸内海には海上賊徒たる「海賊」がいて、村上水軍の子孫たちの間では先祖が強盗・盗賊の類と見られるのが怖くて、「海賊」が禁句となっていたのではないかと思われます。 ブラタモリの最後にタモリさんが感想を述べられましたが、ポツリと「村上海賊は・・・二面性を持っていた」と言われたことが印象的です。タモリさんはもっとよくご存じだったのではと思います。 村上水軍など水軍は倭寇で有名で、実際のところ日本人による倭寇があったかどうかは未解明ですが、村上水軍など日本各地の水軍が船団を組んで、朝鮮や中国さらには東南アジアまで貿易に出向く一方、四国高知などに行っては乱暴・強盗など不法行為をすることもありました。 村上水軍は、いわゆる一般的な「海賊」の一面も持っていました。もっとも、他国へ行っての乱暴・強盗は陸の大名でも普通に行っていたのかもしれませんが。

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2021/1/17 10:25

村上水軍の盗賊としての一面ですが、面白い話があります。 有名な厳島の合戦で村上水軍が毛利元就に味方し勝利に導いたとの話がありますが、一級史料が乏しく、現在知られている話は各地の伝承とか研究者の説です。 以下、そのひとつのストーリーと思って下さい。 厳島合戦の前、村上水軍には陶隆房と毛利元就の双方から何度も支援要請が来ていましたが、棟梁村上武吉が返事をしないので、毛利元就は腹を立ててもう村上水軍はあてにするなと怒ったそうな。 実はちょうどその頃、村上水軍は船団を組んで恒例の四国高知に行っての盗賊をする予定であり、合戦参加を渋っていた。 それを知った毛利方の交渉人が「一日だけ貸してくれ(味方してくれ)」と切り出すと、「四国に行く途中にちょっと厳島に立ち寄るだけなら、オッケー!」と毛利元就に味方として厳島へ。 厳島合戦のあとは予定通り四国高知に行き、存分に強盗をして楽しんだとのこと。

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中央政権に属さない時は海賊、誰かに属した時は水軍と呼ばれている。 村上にすれば、ズーと武装海運業者。 映画の海賊ではない。 我が先祖が村上家の家来。書き付、家宝もあるが、下っ端だったので、村上を名乗れなかったらしい。

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戦国期の海賊と水軍は=です。その時に軍ではなく、独立組織としようとしたのが村上水軍であり、軍として確立しようとしたのが九鬼水軍です。 秀吉は海賊禁止の法を出し、それにより毛利家としての「水軍」ではなかった村上家は小早川隆景に保護される形で瀬戸内海から消滅しました。 陸に土豪が存在して各村を治めるように、海の上にも土豪のようにあるのが海賊です。土豪も戦を行いますし、海賊も戦をします。土豪が関所を設けたり、民から税を取り立てるように海賊も自らの支配する海域を航行する船に関銭を要求します。まぁ払えばその海域でほかの船に襲われないように守ってくれますが、払わないとその海賊達に逆に襲われます。

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「水軍」という呼称は、あとから与えられた便宜的な呼称とされます。 イメージとしては、近世になってから独立性を失い、陸の大名に従属させられた「海賊衆」の行きついた先という感じです。 中世ごろの「水軍」を取り上げるとき、むしろ多用されるのが「海賊衆」や「警固衆」であるといえます。 これらも当時の表現であるのか、疑問の声はあるようですが、この界隈ではよく通じる用語です。 使い分ける傾向もあり、先述したように大名との関係が密になることを「海賊衆を束ねて水軍を編成した」などと書かれることがあります。 独立性を保っている集団ほど「海賊衆」といえるわけでもあり、その最たる者こそが村上衆です。

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水軍のほうがあとなんですね。知りませんでした。 ありがとうございます。 それにしても 海賊と呼ぶのは 今の感覚からすると、ちょっと違う気がします。 陸の戦国大名だって同じようなものだと思うのですが。 とはいえ、位置づけなんて勝った側が決めるのだから仕方ないか