西ドイツのブラント首相が1970年にポーランドを訪問してオーデル・ナイセ川を恒久的国境線として承認したために
ケーニヒスベルクを含む東プロイセン、ポンメルン、シュレージェンに対する領土要求権を恒久的に放棄しています
ソ連崩壊後、ロシアのエリツィン大統領がロシアが領有するカリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)を含む旧東プロイセン東部をポーランドに譲渡して
その代わりにポーランドが領有するオーデル川西岸のシュテッティンをドイツに返還する現実的な案も検討されましたが
エリツィンからプーチン大統領になり、プーチン大統領の妻がカリーニングラード出身ということでその案もなくなりました
ケーニヒスベルクはソ連軍占領後、ケーニヒスベルク城をはじめドイツ的な建造物は徹底的に破壊されました
ソ連崩壊後、ロシアはケーニヒスベルク大聖堂を再建修復しましたが、ケーニヒスベルク城跡地にはヨーロッパで最も醜い建造物と言われたソビエトの家が未だに建っています
ドイツ的価値が皆無の場所を返還されても無駄金が余計に拠出されるだけでしょうし
もうケーニヒスベルクに郷愁を感ずる人はいないでしょう