ロシアのロマノフ王朝をエカテリーナ女帝から別の王朝と見なす説はないのですか?
ロシアのロマノフ王朝をエカテリーナ女帝から別の王朝と見なす説はないのですか? 前皇帝と血縁のないドイツから来た嫁が軍のクーデターによって即位したわけですから血筋で繋がる王朝のルールからすると別の王朝になるのでは?ヨーロッパの片田舎のロシアはあまりそのような事には拘らないのですか?
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エカテリーナ2世は「ロマノフ家に嫁いだ皇后」という立場でクデーターを実行しているにすぎず、次の皇帝がピョートル3世との間に生まれたパーヴェル1世ですから、ロマノフ家男子の血筋が途絶え王朝が変わったわけではありません。エカテリーナ1世も農民の娘でしたが、彼女が即位したからと言ってロマノフ王朝が滅び異なる王朝になったと認識はされていないでしょう。 最終的に彼女は皇帝に即位しましたが、クーデター後はパーヴェル1世をすぐに即位させ彼女を摂政とする統治体制が有力視されていました。ロシア人もロマノフ家の血筋ではない彼女がそのまま皇帝になることについては不快感を持っていた現れです。仮にエカテリーナ2世が再婚しその相手との間に生まれた子供が皇帝に即位すれば王朝が変わることになります。 実際のところ、エカテリーナ2世よりもロマノフ家の直系ではないピョートル3世の方がこの場合は論じるべき存在ですね。彼は母方がロマノフ家ですが父方はドイツのホルシュタイン=ゴットルプ家です。その為、より詳しくロマノフ王朝を区分化するならばここから「ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家」になります。 ついでに触れると、エカテリーナ2世の母親はホルシュタイン=ゴットルプ家の出身で、ピョートル3世とエカテリーナ2世はもともと親戚(はとこ)という間柄です。
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