織田信長が明智光秀に襲われたとき近くに天皇?か皇子がいたらしんですけど 人質にしたら信長は助かりましたか?
織田信長が明智光秀に襲われたとき近くに天皇?か皇子がいたらしんですけど 人質にしたら信長は助かりましたか?
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信長の近くではなく、息子である織田信忠の近くに誠仁親王という人がいました。 信忠は本能寺から少し離れた妙覚寺というお寺に泊っていまして、そこでは防衛に不利だと考えて、近くにある二条御所というところに移動しました。そして、その二条御所にいたのが誠仁親王です。この人は正親町天皇の次に天皇になる人だと周りから思われていた人です。 人質にしたら、どうだったでしょうかねえ。 まさか、信忠が親王の首に刀をあてて「動いたら殺すぞ!」とかは、さすがにないですかね。まあ信忠自身がそういうことをしなかったとして部下にやらせるにしても、さすがに「次期天皇」を人質にとるというのは見苦しいというか、仮にそんなことをやって自分が助かったとしても、その後は求心力を失ってしまうでしょう。歴史に汚名を残すことにもなりますしね。 で、実際には信忠はどうしたのかというと、包囲した光秀軍に使者を送って「誠仁親王がいらっしゃる。戦に巻き込むわけにはいかないから避難していただく。それまで攻撃は待ってくれ。」と申し出て、きちんと親王を逃がしています。そしてそのあとはまあ正々堂々とといいますか、潔く戦って最終的には切腹して死んでいます。そして、この信忠の行動は「逃げて織田家を存続させるべきだったという考えもあるが、しかし卑怯者ではなくある意味で立派だ。」という評価を得ています。要するに、彼は卑怯者という非難をされなくてすんでいます。
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