本能寺の変の後、明智光秀と豊臣秀吉は戦うことになりますが どちらが最初に攻撃したんですか?

日本史89閲覧

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オルガンチーノ宣教師が安土城に 在中の明智光秀を訪ねて摂津、高槻 へ行きたく交通手形を申し願った。 光秀は手形ふる見返り、に高槻城主、 高山右近が明智に加勢する説得を 依頼。同宣教師は請け負って手形 えて高槻に行ったという。 一方、これは細川家が所蔵の明智光秀 からの書状に出てくる、加勢して くれたら約束する見返り、として 細川家に摂津を与える、というもの。 摂津を くれると言うが実際は 明智が摂津を征服の実績なく 摂津の高山右近に明智への加勢を 頼んでいると同時に摂津やるから 味方せよと細川に言っているのは 明らかに矛盾しており明智の 味方を増やす努力は手法が稚拙で 破綻していた。

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そもそも話し合いの余地はありません。 主君が殺されたとなれば、黙っているわけには行きませんし、それも 予測済みで決行されたのが本能寺の変です。 勿論、明智光秀も計算の上でしたが、まさか秀吉が早く帰京して来る とも思っていなかったはずです。 誤算はもう少しあって、光秀にすれば与力の筒井順慶や友人の細川藤孝 などの周辺武将は味方についてくれると予想したかもしれません。 山崎の戦いは街道を塞ぐ布陣をした光秀方に秀吉から戦端を開き難い 状況でしたが、戦端は光秀方から開かれ、天王山や渡河部隊に三方から 攻められることになり、光秀軍は敗走することになります。