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ID非公開
ID非公開さん
2021/1/21 5:34
質問者様の仰有る通り、今川義元を『海道一の弓取り』と記した資料は見当たりませんでした しかし、義元を『海道(東海)一の巨人』と称した資料はありました https://tengyu-images.com/product?id=629 こちらより 『比類なき猛将にて街道一の大身なれば 武威近国に輝き』とあり この文を端的にしたときに、『海道一の弓取り(=海道一の武将)』と解釈されたのだと思います (ただ、武将の異名には後世称された、とするものも多々ありますので、そう考えた場合は間違いではないかと…) おそらく、『海道一の弓取り』と称された家康と同じく駿遠を治め、また名将であったため、など逆算的に考えられたのでしょう また、家康と違い文章にこそ残されませんでしたが、もしかしたら『海道一の弓取り』と巷では言われていたかもしれません(しかし資料がないので、あくまでも可能性の話) ですので、ご質問にお答えするならば、『《当時からは》海道一の弓取りとは称されていない(分からない)』と言うのが正確だと思われます
ID非公開
ID非公開さん
質問者
2021/1/21 15:37
回答ありがとうございます。スッキリしました! 家康の紹介が海道一の弓取りだったため武者絵の紹介で乗っかってきたようですね! ただ大身は巨人と言う意味ではないですよね。身分が高いことと辞書に書いてありました。 「街道一の身分が高い武将」その通りと思いました。
質問者からのお礼コメント
回答ありがとうございます。 今川義元が海道一の大身(高い身分) 徳川家康が海道一の弓取り(戦国大名、強い武士) とわかって良かったです。<(_ _)>
お礼日時:1/23 17:18