ベストアンサー
・義仲が京に入った後、治安維持をおろそかにして、部下が横暴を働いても止めず、ただでさえ長い飢饉に苦しむ京で不評が高まったため ・天皇家の後継に義仲(武士)が口を出すという前代未聞の行為をしたため ・これらのために後白河法皇が義仲排除を試み、頼朝に助けを求め、自らが官軍ならんとする頼朝が院宣を受け、義仲を滅ぼした 大まかにはこのような流れです。 後白河の救済要請と、天下人になろうとする頼朝の野望が一致したのですね。 義仲本人にも、朝廷を軽んじる(というより武力でコントロールしようとする)部分や、治安悪化を放置するなどの落ち度はありましたが、「頼朝の野望の都合」というのが大きいです。 ですので上のような理由がなくても、いずれ何らかの理由をつけて、頼朝が義仲を征伐していたかもしれません。 義仲やその部下によほどの政治的コントロール能力でもない限りは、逃れられなかったかも。
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