梶山季之 の昨今 かつて流行作家、きわめて多作な作家、それがゆえか、45歳で香港で客死した人として知られた梶山季之、
梶山季之 の昨今 かつて流行作家、きわめて多作な作家、それがゆえか、45歳で香港で客死した人として知られた梶山季之、 今ではさほど知られていません。私も筒井康隆「流行作家になる方法」、あるいは角川文庫の目録で見かけただけで、PCの変換候補に「としゆき→季之」が出てきませんし、公立の図書館にもあまり所蔵されていません。これはどうしたことなのでしょうか。 私事ながら、私の親戚にほぼ同じ年代の作家が複数いますが、いずれも今も出版されていて、人によっては後継者の一人にされていますので、ちょっと奇異な感を受けます。 私もネットで出てきた評伝を見る程度で、作品を読んだことがない(現在、不可能ではないが、気楽に入手、読書できない状態)のですが、私なりに想像すると、流行作家という言葉の通り、当時の時流を捉えた作品は多いのですが、時代を超えて現在でも愛読されるものが少なかった(皆無ではないが)からではないかと思っています。 事情をご存じの方がいらしたらお願いします。
ベストアンサー
流行作家というものは得てしてそういうものです。 生きているうちは新作も出ますし、それが話題になって旧作が再版されたりもしますが、死んでしまうとそういうこともなくなり、刊行がどんどん減っていきます。そうなると人の目に触れる機会も減り、新規の読者も減って行きます。そうなると刊行も減り……というわけで悪循環になって消えていきます。 これは梶山季之だけの話ではなく、かつてサラリーマン小説として絶大な人気を誇った大ベストセラー作家の源氏鶏太なども今では知る人も少ないでしょう。ユーモア溢れる家庭小説で人気を博し、多くの作品が映画化された獅子文六、官能小説家として一世を風靡した川上宗薫、「小説の名人」と呼ばれ、様々なタイプの作品を書きまくった藤原審爾など、消えていった作家は枚挙に暇がありません。近年では「ミステリの女王」として絶大な人気を誇り、毎週のように作品がドラマ化されて放映されていた山村美紗も書店からはほぼ消えつつあります。 松本清張や司馬遼太郎のように死んでからもずっと読み継がれる例はむしろ珍しいです。 ただ、それらの作家が必ずしも古びて読めなくなったというわけでもなく、今読んでも結構楽しめる例も少なくありません。獅子文六なども最近少し話題になって再版がかかったりしています。また、かつて世間から忘れられ、完全に消えた作家になっていた横溝正史が主に若い読者に支持されて空前の大ブームを巻き起こした等ということもありましたので、それらの忘れられた作家が再び復活ということもあるかも知れません。 特に最近は電子書籍であまりコストをかけずに再版することが可能になったため、昔の忘れられた絶版本が手軽に読める例が増えています。梶山季之も電子版だと今でも30冊以上普通に読めるので、チェックしてみて逆に驚かされました。ひょっとすると、それらから新しい読者が増えることがあるかも知れません。
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質問者からのお礼コメント
御回答いただき、誠にありがとうございます。 余談ながら、横溝正史の家は私の生家から徒歩五分ほどで、没後、何百坪もある敷地(大金持ちといかないまでも、結構裕福だったようです)を一部手放したり、ハイム横溝というアパートにしたり、書斎は記念館に移築されましたが、今でも子孫の方が住んでます。近隣に、作品のきっかけになった場所(例;病院坂、首吊りの松→「病院坂の首縊りの家」)がいくつかあります。
お礼日時:1/23 14:25