⑴what is the Christian view of the end of time? ⑵その⑴の見方は聖書にどのように書かれているか
⑴what is the Christian view of the end of time? ⑵その⑴の見方は聖書にどのように書かれているか と言う問いについて、黙示録など調べたのですがあまりよく分からなくて困っています。 教えて頂きたいです、お願いします!
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聖書の概要 神は天地を創造され、私たち人間を非常に愛してくださいます。神は、私たち一人一人と関係を持ちたがっていらっしゃいます。 人間は皆、神の意志に対して大きな罪を犯しました。 罪とは、考えや言葉や行いが良くない方へと向かったり歪んでしまったり、神に対して反抗的になったりすることです。心で神を拒むことです。 「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という神の律法を守る人間は一人しかいません。イエス・キリストのことです。 最初の人間が神に不従順だったことがきっかけで罪が世界に入り込み、人間は死する者になってしまいました。すべての人が罪を犯したからです。聖書は「罪の支払う報酬は死である」と教えます。 神はわたしたちを愛し、わたしたちの罪を償ういけにえとして、そのひとり子イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。 神の子イエスは、十字架の上で、私たちの罪を贖われました。 イエス・キリストは、その血を流し、その生命を、私たちの贖いのためにお与えになりました。すなわち、罪無きキリストは十字架の上で、苦難を受けられることによって、私たち自身が罪のために受けなければならない罪責と刑罰とを、代わってその身に受け、神の怒りを宥められたのです。このようにしてキリストは、罪と死の力に打ち勝たれたのであり、キリストの苦難と死こそが、私たちの罪の宥めの犠牲なのです。 神はキリストを死から復活させ、天に上げることによって、キリストの贖罪の御業を承認されました。 神は約束されます「イエス・キリストを信じて洗礼を受ける者は救われます」。 救われるというのは、罪の赦し、地上の生涯の後、神のもとに永遠の喜びということです。 その「罪のゆるしによる救い」はキリスト教の中心です。 その福音はあらゆる民族の人々に伝えなければなりません。 キリスト信仰者の人間同士への態度は、 「主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」 「神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。」 「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」 (聖書) キリスト信仰者は、キリストの再臨の日を待ち望んでいます。 世の終わりにキリストは栄光の中に出現し、全ての死人を復活させるのです。最後の日に、全ての人はキリストの審判の座の前に集められ、裁かれます。 「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。」 「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる。」 (聖書) 古い天地は過ぎ去り、神は義の住むところに新しい天と新しい地とを創造されます。 「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 (聖書) _______ キリストの再臨 「この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」 (マタイによる福音書 24章 14節) キリスト信仰者は、キリストの再臨の日を待ち望んでいます。 世の終わりにキリストは栄光の中に出現し、全ての死人を復活させるのです。 キリストの再臨のしるしについては、聖書のマタイによる福音書24章3-44節を読んで下さい。 http://bible.salterrae.net/kougo/voice/voice.php?Book=MATTHEW&Chap=24 「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」 (ヨハネによる福音書5章28~29節) 最後の日に、全ての人はキリストの審判の座の前に集められ、裁かれ、義人は永遠の生命に至り、神なき者は永遠の滅亡に至るのです。この滅亡とは、永遠に神から離れた状態を意味するのです。 (マタイによる福音書25章31-46節) キリスト再臨の時に、古い天地は過ぎ去り、神は義の住むところに新しい天と新しい地とを創造されます。 このようにして、自然は滅びの奴隷の状態から解放されて、神の国の栄光の中に現れるのです。 聖書の第二ペテロ3章10-13節はこう言っています。 「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」 永遠の生命は神の子供たちに、言い表せない幸福と栄光とをもたらします。この永遠の生命はすでに地上においてキリストを信じる者の心に始まっていますが、彼の永遠の想いにより、天国において、神の御許で初めて完成させられます。そこでは、彼らは全ての悪と苦しみとから免れ、神と顔と顔とを合わせて会い、永遠に神をほめたたえて賛美するのです。 「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」 (黙示録21章3-4節)。 下記のリンクより ヨハネの黙示録の解説をお勧めします。 https://www.bibletoolbox.net/ja/seisho/yohanenomokushiroku
質問者からのお礼コメント
とても詳しく教えて頂きありがとうございました !
お礼日時:1/29 0:04