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2021/1/21 8:46

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独ソ戦の前、ヒトラーが対ソ戦の準備を着々と進め、スターリンのもとにもその情報が入って来ていたのに、スターリンが頑なにドイツはソ連に侵攻しないと思い込んでいたのは何故ですか?

歴史 | ミリタリー46閲覧

回答(5件)

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単純です ヒトラーを信じていました 独裁者は客観的に物事を見ません 自己の主観が絶対です 理由はそれだけです

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幾つか理由があります。 例えば1941年6月22日にドイツの侵攻が起こること を警告していた情報源の多くは、同年5月中旬にも ドイツの侵攻が起こることを警告していました。 しかし、5月中旬に侵攻が起こらなかったことで、 これらの情報源の信頼性が損なわれていたのです。 実際には、これらの情報源は正確で、5月中旬に 侵攻が行われるはずでしたが延期されたのです。 間違った情報を送ってきた情報源として認識され てしまえば、イソップ物語の「狼が来た」の話の ようになってしまうのです。 また、心理的バイアスからスターリンが希望的観測 を信じてしまった面もあります。彼は自分と異なる 意見の部下たちを粛正排除していき、周りはイエス マンだけになっていました。そして自己無謬に陥り ます。こうしたスターリンの心理傾向は、自分の気に 入らない意見や情報を全て排除してしまう姿勢に 繋がってしまいます。不愉快な意見を述べる者を排除 するのと同様に、不都合な情報も無いものにしてしま うのです。 1941年当時、スターリンはヒトラーがソ連を攻撃する 動機などないと信じていました。自分の信念に拘りすぎ た余り、多様な世界観や視点を理解したり、物事を 多角的に見ることができなくなっていたのです。 こうした心理傾向は独裁者にありがちで、ヒトラーも 同様の誤りを犯しています。 更にスターリンは陰謀論を信じすぎていました。権力を 握る前、彼は革命家として地下組織で非合法活動に従事 してきました。当時、同じ革命家の仲間の中にツァーリ 側の二重スパイが存在したりしていて、仲間であっても 完全に信じることは出来ませんでした。スターリンは あまりにも詐欺や裏切りの世界に慣れすぎていたのです。 こうした革命家時代の長い生活がスターリンの猜疑的 性格を助長したと考えられます。この種の猜疑心を強く 持つと陰謀論に簡単に嵌まってしまう傾向が強くなります。 この猜疑心によってイギリスからのドイツ侵攻情報は、 ドイツとソ連の仲を裂いて戦わせるための陰謀に見えて しまったのです。ドイツがソ連を侵攻するという情報は イギリスが自国の苦境を脱するための陰謀だと考えたの です。スターリンは、こうした情報を送ってくる者は 二重スパイではないかという疑いを強く持っていたのです。

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自分で無理やりそのように思い込んでいたんじゃないでしょうか。 赤軍大粛清のツケで軍隊の指揮能力はガタガタになってしまいました。 ソ・フィン戦争が1939年11月から始まり、ソ連としては楽勝に思えた戦争がフィンランドの頑強な抵抗による意外な善戦に苦しみ、最終的に勝利するもソ連軍に大きな被害をもたらしました、 フィンランド相手に苦労したのにドイツならもっと強敵だろうと考えるのは当然です。 スターリンは猜疑心の強い人物です、独ソ不可侵条約も所詮は紙切れの平和に過ぎません。そのことはスターリン自身がよくわかっています。 でもスターリンにとっては独紙不可侵条約に頼らざるを得なかったのです。 ソ連軍が完全復活するまで戦いたくなかったのです、

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独ソ不可侵条約があったからだと思います。

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