中国では昔から、聖人とか賢士とか呼ばれる人々は、皆、名声や地位を求めることには関心を持たなかった。時代が穏やかでなく、人々が正しい行いをしようとしないのをあわれに思ったから、人としての道を悟ったとき、自分一人だけが清く正しく生きるようなことはしないで、必ず力を注いで天下を救おうとした。こつこつと努力して、死ぬまで続けたのだ。そのために、古代中国の三皇帝の一人である禹は、家の門を通り過ぎても中に入ろうとしなかったし、孔子は、座り込むことが無かったから、自分の座席を暖める暇もなかったし、墨子は、家でゆっくり食事もしないから、家のかまどが黒くならなかった。かの二人の聖人と一人の賢士は、自分ひとりが安楽に暮らす方が楽しいということを知らなかったのだろうか、いやそうではなく知っていたのだ。けれども、自らに与えられた天命に従って、人々が困窮することを悲しむ気持ちの方が先に立ったのだ。
文章軌範のどこにあたるのかははっきりしませんが、一応、訳してみました。といっても、半分以上は訳が書かれていますが。