昭和20年3月10日の東京大空襲では、334機の夜間低空で侵入してきたB-29を10数機しか撃墜できませんでした。
昭和20年3月10日の東京大空襲では、334機の夜間低空で侵入してきたB-29を10数機しか撃墜できませんでした。 日本の防空体制はどうなっていたんですかね?レーダーはなかったにしろ探照燈と高射砲でもっとスコア上げれたはずです。爆撃した火焔でB-29の機体が夜空に浮かび上がっていたという目撃情報が多数あります。米軍側は最大70%の損害を見込んでいたそうです。
ベストアンサー
レーダーによる早期警戒システムは存在しましたが性能が低いため効果を発揮できませんでした。父島-房総半島、父島-三浦半島の間をつなぐ電波哨戒線があり、この間を航空機が通ると感知できるというものが一種類と沿岸の各地に通常のレーダーが設置されていました。グアムから出撃したB29が関東方面を爆撃する場合、富士山をランドマークとして静岡県上空から東京を目指すため父島の哨戒線には引っかからず通常のレーダーで捕捉した時には既に迎撃機の指向が間に合わない状態でした。それでも本土防空を担う陸海軍航空隊は貴重な燃料をやりくりして月光2機、夜戦型彗星2機を夜間常時上空待機させていました。 第二次大戦中ドイツ高射砲が撃墜した連合国航空機は約2万機ですが、一機撃墜するのに約3000発の高射砲弾を必要としたという統計からすると、東京大空襲での高射砲による撃墜はむしろ命中率はドイツよりも高かったと言えるかもしれません。高射砲で戦果を上げるには絶対数がまるで足りていなかったんです。
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質問者からのお礼コメント
貴重な情報を提供していただきありがとうございます。予想以上のワンサイドゲーム、八方塞がりとはこのことですね
お礼日時:1/26 21:11