第二次大戦で日本が他の参戦国でも実施しなかった必死攻撃の特攻を大本営までが指導した事について

ミリタリー | 歴史84閲覧

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まったくその通りですね。 >>巨大な中国でさえ欧米の植民地として奴隷のように扱われる姿を見てきています、 ウソですね(笑)。数千年の王朝政治で腐り切った中国は、清王朝の末期に西欧列強に抑圧されましたが、植民地になったのは香港とマカオと言う極く限られた地域だけでした。 しかし日本が太平洋戦争を起こしたのはアジアを征服する為でした。欧米列強がやらなかった事をやろうとしたのです。これについては以下を御参考に。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12136859142 特攻については色んな説がありますが、戦争ボロ負けで頭に血がのぼった軍上層部がやけくそで始めた戦術でした。人間を兵器の一部に組み込み、使う者が死なないと機能しない兵器、成功=死(もちろん失敗=死)などはそんなものを考え出した時点で戦争には負けているのです。そしてその通りになった。 特攻を讃美し神格化する人たちはこまかい数字をチマチマと引っ張り出してきて、何隻沈めた、何隻損傷させた、米海軍のミッツはああ言った、こう言ったなどと書きますが、ではそれで戦争に勝ったのですか?という質問には回答がありません(笑) 特攻で戦争に勝ったのであればともかく、戦況を挽回するどころか米軍の進攻のスピードを遅らせることすら出来なかった。海軍のある指揮官は「特攻の目的は戦果ではない。特攻の目的は死ぬ事だ!」と怒鳴ったそうです。自分が行かなくてもよければなんでも言えますよ。 軍上層部の無責任な自己満足、自己保身の為に、それで戦争に勝つわけがない事を知りながら命令で出撃し無駄死にさせられた16歳からの特攻隊員たちが哀れでなりません。

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日本が特攻を始めた話をドイツも知って、「そりゃいいじゃないか!」と真似た。 それでいてヒトラーやゲーリングあたりは“あくまでも兵の自由意志”という建前で責任を回避している。 日本でも一応は同調圧力がやたらと高い環境下における志願制。でも、散華された方々には日本では靖国で神様としてお祀りされるという名誉は与えられた。 今でも九段のお社では神様として鎮座されておられる形だ。 日本とドイツ、どちらがいい加減かと言えば、それはドイツだ。 Wiki「ゾンダーコマンド・エルベ」 >ゾンダーコマンド・エルベ(ドイツ語: Sonderkommando Elbe 英語: Special Command Elbe[1])は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍が編成した部隊である。米第8空軍によるドイツ本土爆撃が激化する中、これを体当たり攻撃によって阻止あるいは妨害することを目的として編成された。日本ではエルベ特別攻撃隊[2]、エルベ特攻隊[3]とも呼ばれる。 >ヒトラーは作戦の承認に際して、「(体当たり攻撃は)命令に基づくものではなく、あくまで自由意志で行われるべきである」と強調したという[8]。 ただし、ヘルマンや『ヒトラーの特攻隊』著者の三浦耕喜は、こうした高官らの態度は人道上からの懸念というより、むしろ無責任な臆病さの発露であると指摘している。事実、ゲーリングはヘルマンが作成した草案から「空軍総司令官たる自分が部隊を訪問し激励する」という旨の一文を削除した上で命令文を発行している[9]。 >1945年4月7日、アメリカ軍は1,304機の重爆撃機と792機の戦闘機が参加する大規模なドイツ本土爆撃を行った[19]。ドイツ空軍ではアルトマルクシュテンダール、ザルツヴェーデル、ガルデレーゲンの空軍基地、ザハウ、ガルデレーゲンの野戦飛行場、マクデブルク、ザクセンの飛行場など各地で部隊を出撃させて迎撃を試み、ゾンダーコマンド・エルベもこれに参加した。 >体当たりに成功した特攻機の数はごくわずかで、大半が撃墜されるか、機体の故障で不時着を余儀なくされていた。180機程度あった特攻機のうち、離陸に成功したのは150機程度で、実際に戦闘に参加したのは100機程度とされる[24]。生存者のうち部隊に戻ったのは15人のみで、それ以外は負傷者として前線を離れるか連合国軍の捕虜となったという[19]。 Wiki「V1飛行爆弾」 >V1(Fi-103)の派生型>Fi-103R ライヒェンベルク(Reichenberg) >建前では、He111などの発射母機から空中発進した後、人間が誘導して着弾寸前に脱出することとしていた。しかし、操縦席後方にパルス・ジェット・エンジンがあることや、狭いコクピット等を勘案すると、実際には脱出は極めて困難であったと考えられている。 こうした点は、日本軍の桜花と非常に酷似しており、いわゆる特攻兵器の一つに挙げることができるだろう。 Wiki「Hs 132 (航空機)」 >単座の急降下爆撃機である本機の大きな特徴のひとつはパイロットが伏臥式に搭乗することにあった。これは、高速急降下から引き起こし時にかかる重加速(G)から乗員を護ろうという発想によるものであったが、このことで機体自体スリムにまとまった。 →これは、うつ伏せで機体に搭乗して操縦する。けれど、機体上面にはジェットエンジン、搭乗員の真下には主脚があって実際上脱出は不能という機体。 Wiki「Ba 349 (航空機)」 >Ba 349は、エーリッヒ・バッヘム博士により設計された。機体は木製で、機首に24-33発のロケット弾を装着する。エンジンはヴァルター式液体燃料ロケット機関(HWK 109-509A)1基で、垂直ランチャーから4基の固体燃料ロケットブースターを使用して発進する。発進後は目標付近まで無線誘導され、近接後機首のプラスチックカバーを外し、ロケット弾で攻撃を行う。その後、パイロットはパラシュートで脱出し、同時にエンジンも分離され、落下後に再使用する構造である。このあまりの航続距離の短さ・単純さのため、後に連合軍からは「有人対空砲」と呼ばれるようになる。 →日本では武装を外して軽量化した戦闘機でB29に体当たり、運がよければ搭乗員はパラシュートで脱出するという戦術をやった。何度も生き残って繰り返し出撃した猛者も存在する。ドイツはそれを木製のロケット花火で行おうとしていた形。 “少なくとも命令を出した軍上層部にはその気持ちは無かったと思います。” ↓少なくても主犯格の人間は自ら責任を取ったと思う。 Wiki「大西瀧治郎」 >大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、明治24年(1891年)6月2日 - 昭和20年(1945年)8月16日)は、日本の海軍軍人。海兵40期[注釈 1]。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。 >「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書は、自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝すとし、また一般青壮年に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭した内容であった。 Wiki「宇垣纏」 >8月15日正午、全日本国軍の降伏とポツダム宣言の受諾を伝える玉音放送が発せられる。これを受けて宇垣は「未だ停戦命令に接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし」「余又楠公精神を以て永久に尽くすところあるを期す。一六〇〇幕僚集合、別杯を持ちあり。之にて本戦藻録の頁を閉ず」と戦藻録の最後を記した[80]。 特攻隊の出撃準備に取り掛かり、宇垣は中津留大尉の操縦する彗星43型に搭乗する。彗星43型は2人乗りだが、遠藤秋章飛曹長が交代を拒否したため、宇垣、中津留、遠藤の3人が乗ることになった[81]。海軍兵学校同期である第十二航空戦隊司令官・城島高次少将、及び幕僚である先任参謀・宮崎隆、参謀長・横井俊之から「死を決せられる気持ちは理解できるが、戦後処理や、国家的な責任の問題もあるため、なんとかとりやめることはできないか」などと翻意を促されたが、宇垣は「武人としての死に場所を与えてくれ」と、その決意は揺らぐことはなかった[82]。

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大西瀧治郎は提案者としてエスケープゴートに使われただけですよ。 大本営はマリアナ戦の前から特攻兵器の準備をさせています。 >1944年6月25日、元帥会議で伏見宮博恭王より「陸海軍とも、なにか特殊な兵器を考え、これを用いて戦争をしなければならない。戦局がこのように困難となった以上、航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し迅速に使用するを要する」と発言がある。陸軍の参謀本部総長東條英機、海軍の軍令部総長嶋田繁太郎はすでに考案中であると答えた。 東條英機や嶋田繁太郎に提案して実行した参謀は誰も表に出ず、責任も取っていない。 >日本陸軍では、1944年春、陸軍中央で航空関係者が特攻の必要に関して意見が一致し、四式重爆撃機と99式双発軽爆撃機を改修して特攻兵器にすることを決定した。 レイテの戦いの時には万朶隊、富嶽隊として強制的に志願させて実戦投入されています。 現地指揮した富永恭次は台湾へ敵前逃亡。

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上層部が強要しても兵が反抗すれば、とは… 反抗したら軍法会議で最悪処刑ですし、軍法会議も起こさせない規模の反抗ができるとしたらそいつはクーデターですよ そんな大規模な反抗の備えをさせるほど、昔の軍隊がバカだったと思ってんでしょうかねぇ 「日本ほど追い込まれた国は欧州にはない」ですってよ 独ソ戦もご存知ないようでね まぁ責任の所在を追うばかりでなく社会全体に目を向けろって意見には賛同できなくもないですが…とりあえず「責任」の話をしたらそりゃ権限のある奴が悪いに決まってます それより高いレベルで俯瞰的に史実を見るのであれば、あくまでも立場ごとの損得を考えるべきで、良いとか悪いとか言うべきじゃないでしょう

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元の質問 >フランス軍って、第二次世界大戦でドイツ軍に追い込まれている状況でも、なぜに日本軍のように特攻作戦を展開しなかったのですか? 追い込まれている状況で、特攻作戦を展開した日本軍が世界的に見て異常だったのですか? 元の回答 >ドイツのゾンダーコマンドエルベのように他国にも特攻はありましたし、ソ連のように負けた味方を撃つ専門部隊を組織するような異常な国もありました ただ日本ほど追い込まれた(と思い込んだ)国は欧州にはありません 欧州は戦争に慣れていたため、占領されても後から友邦とともに取り返せるって言う考えがどこの国にもありました 所謂亡命フランス政府が存続し実際に連合軍に籍を置いています 一方の日本は建国以来欧米の圧力に抗いつつ、巨大な中国でさえ欧米の植民地として奴隷のように扱われる姿を見てきています、白人国家に戦争に負ければ民族すべてが奴隷同様に扱われると考える事がおかしなことではなかったのです 単純に戦争に負けそうと言う状況のみで判断してはいけません、感覚的には欧米の国家同士の戦争はボクシングなどの格闘技の試合であり、日本のそれは異世界人との絶滅戦争です、だからこそ生きて苦しめられるより死んでも逆らった方がマシと言う思想になります そもそも軍上層部がどうのこうのと言う話じゃないんですけどね? なぜ日本でのみ追い込まれてから特攻攻撃が行われたかと言う質問なんですから、日本人のメンタルの問題です 軍上層部がどれだけ特攻の強要をしたくても、兵が反抗すればできませんよ? どうにもに国民は悪くない、旧日本軍上層部だけが悪いんだと言う話にしたくて仕方ないように思えますがね・・・ おかげで賛同する仲間が集まって満足でしょ、元の回答じゃあなたに賛同したのは3人、私の回答に賛同したのは9人、同様にあなたを批判した回答には10人ほどが賛同してるようですがね

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まぁ、自分の意見が否定されたからって別質問を立ててまで議論するのは知恵袋には合いませんね 5ちゃんねるにでもスレを立てては?まぁ、あなたの場合阿修羅の方が気分が良い返信が集まるかもしれませんけど まぁ、めんどくさいのでもう絡まないでください

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軍による組織的特攻作戦はナチスもやってるし、絶滅戦争ってのはヒトラーがそう公言した欧米人同士の戦いである独ソ戦の方がふさわしいと思うっす。 まー特攻命令を出した司令官も敗色濃厚な戦局をどうにかしようとして特攻作戦を実行させ(しかも最初は大戦果)たんでしょーけど、ww2時の日本の高級将校ってタムスク爆撃の辻とか海軍乙事件の福留とかインパールの牟田口とか敵前逃亡した木村や富永みたいに、とてつもない命令違反や失敗を仕出かしても責任をとる、あるいはとらせる風潮がないんで、少なくとも特攻作戦を実行させた責任をとる気のあった高級将校は少数派だったと思うっすし、上層部に責任をとらせる気もなかったと思うっす。

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大西瀧治郎が特攻の最初の出撃を命令していますが、それは1944年10月 大本営や陸海軍大臣は6月の時点でトップが特攻兵器の開発をほのめかしています。 現地自発の特攻より前に特攻を前提とした兵器開発を大本営が進めていました。 積極的に大本営内で特攻兵器を計画し、作戦計画を実行し、練習機まで特攻に使った大本営の参謀は終戦時に誰も責任をとっていない。