言葉、特に、日本語は言霊を内在しているとはよく言われるところです。
おそらく縄文人=弥生人は ※
(即ち,現代日本人のご先祖です.どちらもDNAは同じだが縄文期からの稲作によって採集生活→定住生活へ変わって,栄養状態がよくなり,顔立&身長が1000年程かかって変化したと考えられている)
※ 縄文人のころから言葉は単なる、発声や記号に過ぎないものではなく、発声した瞬間から,人々の脳内に入って音声を感知し,かつ,意味を理解した後々まで何らかの形で生き続けるものと考えられていたのだと思われます。
その考え方を「言霊」「コトタマ」と呼んでいるのです。
従って、無限、と言う言葉も、もちろん単なる「音=オン」でもなく、単なる「記号や絵」でもなく、もっと時間的&空間的に、拡がり、深み、のある存在だと認識されていたのではないでしょうか?
よって、「無限」と言う言葉の発声も記号としての文字も、時間的&空間的な存在だと、我々現代日本人も考えていると、私は思います。