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2021/1/25 1:44

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家康と信長って、もともとの家柄的には、家康が上なんですか?

日本史52閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

簡潔にわかりやすくありがとうございました!

お礼日時:1/25 12:50

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織田家は尾張の奉行。父信秀は守護斯波氏の家臣である守護代清洲織田家の庶流である尾張三奉行の一人。つまり将軍の家臣(守護の斯波氏)の家臣(守護代清洲織田家)の家臣。 実質的には尾張の戦国大名となったが、主家である他の織田氏や斯波氏を追放したり滅ぼしたりせず、最期まで奉行として支配した。(これらは信長が追放したり滅ぼした) 徳川家はもともと室町時代におきた三河国加茂郡松平郷の小豪族。家康の祖父清康の時代に武力で周辺の松平家などを制圧して三河をほぼ支配下に置き尾張の織田信秀とも互角に戦うが、25歳で家臣に殺される(守山崩れまたは森山崩れ)。これにより松平家の勢力が衰え,元忠の時代に今川家の助力を得るために家康を人質に差し出す。人質中に松平家は元忠(家康の父)も家臣に殺される。 ただ清康が三河を支配下に置いたときに正統性が問題になったので、清和源氏の新田氏の一派であり、たまたま松平郷で亡くなった世良田氏の末裔に目をつけて世良田氏を名乗るようになる。これにより松平家は清和源氏の一派ということになり三河国主になる正統性も得られたと考えた。(しかし後で調べると世良田家は国主になったことがなかった。ただ世良田家で得川を名乗った人がいることと得川家が国主になったことがあることを調べて、家康個人が得川を名乗って国主になった。こじつけもいいところ)