ID非公開
ID非公開さん
2021/1/26 0:57
4回答
差別を許さない。という話をよく聞きます。僕も差別は良くないことだと言うことはなんとなくわかります。
差別を許さない。という話をよく聞きます。僕も差別は良くないことだと言うことはなんとなくわかります。 ただ、差別を許さないと言いながら、差別する人に対して僕自身が差別をしているのでは?というパラドックスにハマっています。結局は自分と考えの違う人に対して嫌悪を抱いているだけなんですよね。これってどちらに正義があるのでしょうか。差別肯定派、差別否定派。肯定派の方が矛盾が無く、正しいように思えてしまいます。
哲学、倫理・28閲覧
ベストアンサー
「差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である」wikiより 差別という「行為」に対して嫌悪を抱くのは何ら非難には値しないと思います。差別者が差別をしなければいいだけのことです。 あなたがその人の「行為」でなく例えば貧乏であるとか皮膚の色が黒いといった「属性」によって嫌悪したとすればそれは差別につながる感情でしょうけど。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。 「属性を理由に」というところがポイントなのですね。 差別者に対して嫌悪を抱いてレッテルを貼るのは差別ではないってことになるんでしょうかね。「差別者」という属性があるとすればまた少し混乱しますが。。 一番しっくりきたので、ベストアンサーに選ばさせていただきます。
お礼日時:1/26 20:39