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2021/2/18 7:35

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祖父が生前、「隼は良かった。一番、操縦しやすかった」と話していましたが、隼戦闘機というのは名機だったんですか?

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質問者

2021/2/18 8:13

回答ありがとうございます。 祖父は、隼で宙返りして機関銃を撃ちまくるのが得意だったと言っていました。 仰るとおり、まるで木の葉のように舞えるんだ、と言ってました。

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隼には大きな欠陥が有りました。 一割が必ず故障して墜落したそうです。 テストした人は「これは欠陥機だ」と言って実戦配備をしない方がいいと進言した話もあります。 加藤隼戦闘隊の加藤隊長は楽な墜落の仕方を部下に教えていたそうです。 「きりもみして回転すれば恐怖を感じないで死ねる」 隊長もきりもみして落ちたそうです。

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陸軍だと大戦初期に使えたのは固定脚の旧式九七式、一式戦隼、二式戦鍾馗、三式戦飛燕。 九七式は旋回性能こそ素晴らしいけれど、速度性能が低くて航続距離も短い。 1,000馬力エンジン搭載の一式戦隼は水平旋回性能こそ九七式に劣るけれど、垂直旋回と速度、航続距離で勝る。 1,200馬力エンジン搭載の二式戦鍾馗はどちらかと言えば対爆撃機用の迎撃機で、小回りが利くような格闘戦闘機ではなく対戦闘機戦闘は苦手。迎撃機だから航続距離も短い仕様だった。 それに爆撃機用の大型エンジンを搭載していたけれど、これがデリケートで故障がちの問題児。 1,000馬力水冷エンジン搭載の三式戦飛燕は、試作機の速度性能は素晴らしかったけれど防弾装備その他を施して重くなった実戦仕様だと性能がガタ落ちだった。それに水冷エンジンの製造が難航して量産できなかったし、現場での整備も大苦戦した。 だから、大戦初期の段階だと陸軍は一式戦隼に頼るしかない状態だった。 旧式の九七戦は第一線機には辛い時代で、二式戦鍾馗は爆撃機用、三式戦飛燕はまともに飛ばせない。 これだと一式戦隼は実に名機だということになってきます。 でも、戦争が続くと1,000馬力世代の3機種だと通用し難くなってくる。 米英が2,000馬力級の戦闘機を投入してきたからです。 火力に優れ、重装甲の機体を大馬力で強引に高速で飛ばしてくる敵機。 陸軍では対抗上エンジン出力を向上した機体を繰り出します。 三式戦の水冷エンジンを1,400馬力の空冷エンジンに乗せ換えた五式戦。 そして、期待の1,800馬力エンジン搭載の四式戦疾風。 「大東亜決戦機」という勇ましい二つ名を冠したのが、この四式戦疾風でした。 戦後の米軍によるテストでは日本最速の戦闘機という評価になっています。 もっとも、小型/高出力を狙ったエンジンはデリケートに過ぎて稼働率が低下。 対して安定したエンジンだった五式戦は、性能こそ凡庸でも稼働率については安定していた。 大戦末期の陸軍パイロットの多くに言わせると、燃料さえ入れればいつでも飛べる五式戦こそ最良という声が大きいのです。 凡庸な性能な五式戦は機体構造がやたらと頑丈で、B29相手に体当たりしてもパイロットが生還できるほど。 正直、大戦後半になってしまうと一式戦隼は通用しない機体でした。火力の面でやたらと頑丈な敵機を相手にするのが難しい、速度面でも時代遅れになりつつあったのです。 では、零戦はどんな機体だったのか。 軽量化を突き詰めて敵機相手に無双の格闘戦闘能力。 登場時点においては異例の大火力。 そして、稀有な大航続力。 零戦なら開戦当時の敵戦闘機でも、大型爆撃機相手でも対抗可能な火力でした。 一式戦隼には無い火力が零戦にはあったのです。 そしてラバウル戦線を支えたのが、異例の大航続力でした。零戦ならではの航続力は太平洋という広大な戦場に欠かせない能力でした。 一式戦隼では存在できない戦場にでも零戦なら到達できた。 一式戦隼では敵大型機の相手は火力不足で無理であっても、零戦の火力なら対抗可能だった。 零戦は装甲無視の紙機体? そうでもしなければ大航続力と速度の両立が出来ない時代だったのです。 そもそも一式戦隼には装甲があったとしても、それが万能でもないのです。 米軍の1,200馬力のF4F-3で機体重量2.4tなのに対して、1,000馬力の一式戦隼は2t、同じエンジン搭載の零戦21型で1.8t程です。 隼は零戦に対して200kg弱重いけれど、米軍機に比べると400kgも軽いのです。 米軍機に比べると日本機は揃って紙ということでしかありません。

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納得ですよ。 ■操縦性 まず、前提として、日本は日中戦争から戦っていましたので。 実は、パイロットの世代がかなり散らばり、訓練し始めた時期により、重戦闘機に馴染めず、隼を使いこなすベテランがいました。 二式戦闘機の鍾馗はベテランからすると常識はずれに着陸速度が速く、好まないパイロットも居ました。 また、四式戦闘機の疾風は、パイロットに重戦闘機として使わせたかったために、あえて、舵を重くしてあり、軽快さが無いと感じるパイロットが多く居ました。 なお、隼の空戦フラップは使いにくかったとされるんですが。 使いこなせる人が乗ると、非常に軽快な機動をしました。 ■空戦 実はアメリカの戦闘機で最高時速が700Km前後の物がありますが。 あれらも低空では時速500Km台になります。 大戦中期以降、米軍機に対抗しにくくなりましたが。 中低高度では意外に性能差が無く、重くて軽快に飛べない米軍機を圧倒して撃墜するケースもありました。 ただし、米軍機は日本のパイロットには考えられないような速度で急降下出来ますので。 残念ながら、急降下で逃げたのを撃墜したと誤認しているケースもあります。 ■防弾 隼は始めから防火燃料タンクを使い、1943年6月から防弾板もつけています。 零戦はこれらの装備が陸軍より遅れました。 よって、日中戦争の頃からのベテランや、重戦闘機に転換する訓練が不足した人。 調子の良い三式戦闘機 飛燕だとか、キ100とかには搭乗した経験の無い人が、隼が一番だったと言うのは無理からぬ話ですし。 零戦の防弾性能をバカにするのは当たり前と思いますよ。

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そりゃどんな人も自分が一番長く乗った、あるいは一番活躍できた時期の機体を割り増しで評価するものですよ そもそも隼は陸軍の戦闘機、零戦は海軍の戦闘機ですから、ごく一部の試験的な搭乗経験のある人を除けば2機種を乗り比べたり使い比べてどうこうなんて一般のパイロットには経験評価できないはずです。昔から、そしていまでもある陸海軍の対立の一端に過ぎないと思います。確かに零戦は艦載するために軽量化を突き詰めて防弾や機体強度は貧弱ですが、引き換えに高い運動性で回避能力を確保し、長い航続力で他の艦載機に随伴護衛して遠方まで出て行って戦うことを目的とした機体ですから、前線が近い陸上基地でタフな運用に耐える隼とはコンセプトが違います。極論すればF1カーとラリーカーの違いがあります 隼も零戦も完成当初は他国の旧式機なら圧倒し、新鋭機とも互角に戦える性能を持つ、日本の戦闘機開発史上最も世界最先端に近づいた頃の機体です。エンジンの出力が技術力の限界から低めでしたが、引き換えに前世代の97式戦闘機、96式艦戦からの特徴であった高い運動性で、パイロットの技量次第ではより強力高速な敵新型戦闘機と渡り合えることもありました ただ、太平洋戦争期は各国の航空隊が航空無線を利用した編隊空戦を取り入れたチーム戦術で戦うようになっていった時代。日本戦闘機隊は航空無線の品質が悪くて空戦中の意思疎通はほとんどできない機体が主であり、従来の個人技に依存する戦術を繰り返した結果戦争中期以降は敵新型機の大量投入や日本新型機の開発生産の難航もあって劣勢を覆せなくなっていきました