現代の茶道は、「美味しいお菓子で抹茶を飲んで楽しむ」というものですが、本来の茶道は、現代でも茶席に入れば床の間の掛軸の言葉を敬拝し、その言葉の奥意で主客清談を交わすことが本源ですが、その行為だけは茶人も忘れていません。その奥意を味わえる茶人がほんの僅かしかいず、社交で楽しむ茶人ばかりです。
江戸時代の茶道は、掛軸の禅語が社会性、人間育成のヒントを提供していますので、男子の修養の手段として京都を除く全国に広まりました。その点から現在欧米では茶道は関心が高くなっています。
明治時代になると、そうした掛軸の奥意を会得するよりも挨拶や礼儀を学ぶ一手段として女学校や若い中高生に伝授したので、一挙に社会性や人間育成の意義が無くなりました。本来の茶道に立ち還って、人間修養性が再認識されれば復興されるでしょう。
抹茶は健康な飲料ともされますが、中国や韓国では既に抹茶生産が拡大し、現在すでに北米では安価な中国抹茶が全盛です。本来の茶道の意義を忘れて、健康飲料を掲げるだけでは、いずれ中国や韓国の抹茶が主流となり、日本の茶道は一層衰退するでしょう。