学校信仰や教師信仰という物も一部にはあるんですが、どちらかというと、"行為"を重視するか、"制度"を重視するか、その辺の考え方の相違でしょう。
例えば、「教師からいじめがあった」という話をすると、絶対に一部の人から「教師からのいじめなんてある訳が無い!!」という話が出ます。
実はこれ、法律でいじめの定義が決められていて、教師からの行為はいじめにはならない。という事が定められています。
このため、法律上は、教師がどんな事をしても、いじめになる事は法的にはありません。
なので、いじめがあった。という裁判をしたら、絶対に裁判所は、教師のいじめは無い。という判決を下します。だって法律で決まっているからです。
でも行為としては、他の児童生徒から行われたらいじめに該当する行為を教師がやって来たら、感覚的にはいじめです。
なので、何を基準にするか?という部分で、考え方が異なってしまうんです。
これは体罰なども同様で、体罰定義のガイドライン等により、具体的に何が体罰なのかは決まって居ます。
このため、例えば胸倉を掴んで引きずって壁に押し付けて殺すぞって叫んだとしても、制度上の体罰には該当しません。
でも行為としては暴行行為などが行われているので、感覚的には体罰です。
なのでここも、制度で考えるか行為で考えるかで差が出ます。
淫行についても同様で、確かに淫行というか強制わいせつは13歳未満に対しては無条件で犯罪です。
が、女性は16歳から結婚が可能なため、16歳で結婚しようとすると15歳などに交際する必要があります。
なので教師と生徒であっても、交際や性行為自体が認められる場合があります。
例えば相思相愛で、生徒側の保護者も交際に同意している。とか、そういう条件であれば問題は無いです。
という訳で制度上ではOKだけど、感覚的には教師と生徒の交際はNGだという考え方もあるので、その辺も解釈が異なったりします。
また理不尽な校則も、元々の趣旨としてはちゃんと意味がある物です。
例えば「男子は坊主」というのは、髪の毛に感染する寄生虫が流行った時期に設定されている物です。
髪の毛を切って寄生を防ぎつつ、寄生されていたら駆除する為です。
また「女子の化粧は禁止」というのは、昔は化粧品の美白成分に水銀が使用されていて、幼少期から使用すると体内に蓄積してしまい、意識障害を引き起こしたり寿命を縮める為です。
髪の毛の寄生虫はほぼ居なくなりましたが、現在にも自然界に居るので、年間で数件ですがまだ寄生報告があります。
化粧品への水銀の使用は禁止されましたが、まだ国内でも古くからある俗にいうお婆ちゃんの嫁入り道具とか、海外からの輸入品の中には危険な物もあります。
元々は危険が多かった時期に禁止されて、今はほとんど発生はしないけどゼロでは無い。という物について、今でも可能性があるから禁止しておくか、または、もうほとんど無い訳だからOKにするか、その辺も考え方次第ですよ。
なので制度的な物を基準に考えた場合と、実際の行為で考えた場合とで、結論が異なる場合があるんですが、そこが各自の意見の相違になる部分にはなりますよ。
理由としてはそんな感じです。
長くなりましたがとりあえずはこの辺で。