私はクリスチャンでクラシックも好きです。子供にはクラシック音楽の専門大学へ行かせるよう育てたほどです。さて、いくつも誤解があおりのようなので、少し説明をさせてください。
◆クラシック音楽愛好家は、結構、キリスト教を学びます。
まず、第九、歌ったことありませんか?みな、その言語の意味、なぜこの歌詞なのか、をアマチュアの方でも勉強してコンサートに臨まれるのが普通です。多くの日本人が、クリスチャンでなくても第九を歌います。そして、そのゲーテの歌詞がキリスト教でないことを知っています。
多くのクラシック愛好家は、その曲の背景、歌詞の意味、キリスト教の場合はキリスト教の背景を親しみ、その曲の良さを深く味わっています。専門家が欧州に留学に行くのは、ただ音楽的な学びのためだけではなく、キリスト教がもつ世界観、教会の様式美を知るためでもあります。
程度の差こそあれ、アマチュアでもプロでも、キリスト教を理解したうえで、曲を楽しんでらっしゃる、と多くのクラシック音楽好きの友人がいる私には思えます。
なので、曲のすばらしさは、単純にその曲だけが持つのではなく、その思想性も理解したうえで、多くの方は楽しまれている、と言えるのではないでしょうか。
◆でもクラシック音楽はキリスト教の宗教音楽ではない
で、私の感覚でクラシック音楽のうち、宗教音楽と言えるものは、ごくわずか1割にもないのではないか、と思ってしまいます。
ご質問者様が第九をキリスト教の曲だと思っていたように、ここの回答者の方々のほとんどが第九をキリスト教ではないと否定なさっていないように、クラシック音楽=キリスト教の背景をもつものだ、と思い込みすぎです。
欧州は確かにキリスト教が背景にありますが、それは、東アジア全体ほどの大きさがあり、小さな国から大きな国までが集まった集合体です。日本と韓国でも音楽に差があるように、日本の伝統音楽とネパールの伝統音楽がどちらも仏教をもとにしたものだ、と論じているようなものです。クラシック音楽で言えば、ドイツのはやりとハンガリーの音楽は全く別ものだ、ということです。そこにアメリカが加わり、現代にまでその音楽が続いているため、キリスト教はクラシック音楽のごく一部の背景でしかない、と言わざるを得ません。
宗教音楽と言えるものは、教会のなかだけで演奏されており、クラシック音楽は、早くから教会を飛び出し、演奏会場で一般の人たちに向けて奏でられており、キリスト教とは無縁の活動として育っています。
ですから、第九がキリスト教の聖書とそぐわないから、誰も聞いてはならない、なんてことにはなっていないのです。
長文になってすいません。結論としては、確かにクラシック音楽にはキリスト教背景の曲もありますが、それはごく一部と言っても差し支えなく、特にその宗教的な背景を知らなくても楽しめるもの、です。もちろん、そうしたキリスト教を勉強することで、より曲の演奏を高めることはできるのでしょうけど、それは人それぞれ、お好きなレベルに応じてなさることだと思います。