軍国時代の日本では、
朝鮮半島や中国大陸を日本の支配下におくための殺人に協力することは
善だったのです。
戦国時代の本願寺や延暦寺は一大軍事組織でした。
平安末期の武蔵坊弁慶は僧兵です。
キリスト教は、十字軍、異端狩り、魔女狩り、宗教戦争、世界植民地化
という、数々の歴史上の大問題を起こしています。
旧約聖書の神はモーセとヨシュアに殺人と略奪を命令し、
彼らはその命令に従順にしたがって、殺人と略奪を行っています。
新約聖書「ヨハネの黙示録」の神は
天使たちに殺人を命令して行き天使たちはそれを遂行して行きます。
そして<未来のキリスト>は、人々を、剣で殺して行ったり
火と硫黄の中に投げ込んで行ったりする軍神「王の王」です。
神に反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、
とする考えは、新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。
新約聖書の教えにそのまま盲目的に従えば、
神の教え=自分たちの教え、と同一視する者が、
自ら武器を持って、自分たちの教えを信じない者たちを
大量殺人(最終戦争)で処理しようとしても、
なんの不思議もありません。
異端者を火あぶりにし、非キリスト教国家を侵略した
キリスト教ほど、沢山人を殺した宗教はありません。
キリスト教の異端狩りや宗教戦争や侵略・植民地政策は、
聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。
善と悪、の判断は、単なる社会的通念に過ぎず、
絶対的なものでもありません。