日本国憲法、やっぱり「押し付け憲法」なのでは?

補足

こういう話になると帝国憲法と松本案をやたら批判する人出てきますけど、君主国の憲法としてはアレはそこまで後進的な内容ではないですよ。 ノルウェーとかデンマークの憲法だと今でも議院内閣制は明記されていないですし、行政権は国王に属するものとされていますし。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答の皆様ありがとうございました。 本題から少しずれたところで興味深い議論ができて良かったです。

お礼日時:3/8 18:21

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護憲派は日頃ケンポーケンポー言ってるわりに日本国憲法の成り立ちを全く勉強してなくて失笑噴飯ものですね(笑) 私はラグビーをこよなく愛するスポーツマンで、日頃はラグビーカテを中心に回答させていただいてる、ラグビーしか能がないつまらない者ですが、憲法学者の連中よりは日本国憲法の成り立ちに詳しいと思いますよ。 押し付けか否かで最も注目されることが、戦力不保持、戦争放棄条項が、マッカーサーの発案か幣原の発案かというところだと思います。 数年前に、報ステはスクープと称して、中日新聞(ここ笑いどころ)の小山とかいう部長の幣原発言に関する証言を取り上げてました。 別にこの証言は目新しいものでもなんでもなくて、幣原の秘書官をしていた平野三郎という汚職議員の証言が従来から有名ですが、この平野の証言もツッコミどころ満載で(笑) 平野によれば幣原は 『そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和20年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。(以下略)』と言ったそうですが >そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが と幣原が言ったと抜かしているのにも関わらず、他に、幣原からこの話を聞いたと証言(笑)するの中日新聞小山の他にも、護憲派の重鎮(笑)立花隆によれば、青木得三、毎日・読売新聞社長、大池真、大平駒槌各氏(但し娘葉室美千子が大平の証言として後日記したメモ)など多数います(笑) 2007-76 「私の護憲論 第三弾」 「憲法九条の発案者はマッカーサーか幣原喜重郎か」 「月刊現代」07年9月号 http://chez.tachibanaseminar.org/etc/nanbara/ 此処だけの話(笑)と言いながら、随分と幣原は口が軽かったようですね(笑) もっとも、この幣原発言の大元ネタと思われる平野は、のちに国会議員から岐阜県知事に転じますが、汚職で失職して執行猶予付きの有罪判決を受けています(笑) まぁ、こんな人物や、中日新聞(笑)の部長のいう事にどれだけの信頼性があるか冷静に考えれば、本当に幣原がこんなことを言ったのか判りそうなもんですよね(笑) ちなみにマッカーサーからの発案説を唱えるのは下記の方々 ケーディス大佐、フランク・リゾー少尉、ウィリアム・シーボルト、ホモダチコートニー・ホイットニー少将らGHQの愉快な面々(笑)と日本側でも、幣原のブレーンの村山有は幣原から「戦争放棄はわしから望んだことにしよう・・・」と言われたと証言しているし、吉田茂ですら「私の感じでは、これはやはりマッカーサー元帥の考えによって加えたものと思います。・・・・憲法にこの種の規定を設けるまでのところを幣原首相が申し出たものとは考えられません。」とマッカーサーからの押し付け説を主張しています。 あとは当時のアメリカのジャーナリストやマスコミの多くがマッカーサー発案説ですね。 幣原発案説が信用できない大きな問題が、日程的な問題外で 1月24日 幣原が風邪の薬としてペニシリンをもらったお礼にマッカーサーを訪ねたが、そのときにマッカーサーと戦力放棄の話をした 1月29日 松本試案 閣議開始 2月1日 松本試案 毎日新聞スクープ 2月8日 松本試案 GHQに提出 2月13日 憲法草案が日本政府に示され幣原驚愕 1月24日にマッカーサー回想録や葉室美千子メモにあるように戦力放棄で意見一致したのなら、閣議でその話が持ち出され、試案に何らかの反映がされてしかるべきですが全くその気配すらありません。 それに2月13日の幣原の驚愕も説明がつきません。 以上を踏まえて、日本政治外交史、日米関係論の権威の政治・歴史学者五百籏頭真は著書「占領期 首相たちの新日本」で幣原の方から戦争放棄を提案したと主張する専門家はほとんどいないと書いています。 あとマッカーサー自身が幣原説を主張しているから、これが証拠だと主張する人もいますが、マッカーサーは口から息を吐くようにウソをいう男でしたから、平野以上にその証言に何の信頼性もありません。むしろ逆と考えるべきでしょう。 (ウソ1) マッカーサーはウェスト・ポイント陸軍士官学校の受験を志しますが、ウェスト・ポイント入学には大統領や有力議員(など)の推薦が必要でした。 http://navalacademy1.com/events/admission-process.html マッカーサーは当時大統領などの推薦状を得る事ができなかったので、母親ピンキーは義父のつてで、下院議員シーボルト・オーチェンに推薦を頼んでいます。 ちなみにマッカーサー自身も、父親アーサーがウェストポイント入学の為、祖父の伝手でウィスコンシン州知事を通じリンカーン大統領の推薦を取り付けに行ったと回顧録に書いています。 【出典 :Douglas MacArthur Reminiscenses, McGraw-Hill New York,1964 著者:Douglas MacArthur P.19】 その推薦枠を決める試験で試験官となったミルウォーキーの3人の校長の内の一人のウェストエンド高校長マック・マクラナガンに、マッカーサーは個人的な家庭教師を頼むという不正を行っています。(明大教授の試験問題漏えい事件のアメリカ版みたいなもの) ちなみにマクラナガンに授業を受けたのはマッカーサー自身も回顧録で認めてるので間違いないでしょう。 【出典 :Douglas MacArthur Reminiscenses, McGraw-Hill New York,1964 著者:Douglas MacArthur P.39】 (ウソ2) マッカーサーは日露戦争終戦後に日本に来たのに日露戦争を観戦したと大ウソを自らの回想録に書き(さすがにバカバカしい嘘だったので、初版だけで後の版は出版社が省略、今日の版には記載なし)更に驚く事に、自分が日本軍の部隊を率いてロシア軍の砲台を占領したという妄想を事実の様に広げていた事を、Robert Considine(ボブ・コンシダイン)著「Macarthur the Magnificent」という本ですっぱ抜かれています(笑) その背景について日本でのマッカーサー研究の第一人者袖井林二郎氏が下記の様に分析しています。 『マッカーサーが日露戦争を観戦したという伝説は、アメリカ陸軍の中にかなり浸透していたようである。いくつかその証拠もあるが、マッカーサー自身が伝説の創始者だったのではないかという疑いが濃い』 【出典:袖井林二郎著「マッカーサーの二千日」(中公文庫版)P21~P22】 (ウソ3) マッカーサーの卒業成績は士官学校開校以来のトップ、四年間の平均点が百点満点で98.14、本人も過去25年で最高の成績と回顧録と書いていますが 【出典:Douglas MacArthur Reminiscenses, McGraw-Hill New York,1964 著者:Douglas MacArthur P.51】 1位は1884年卒業のアーヴィング・ヘイル なんと得点率は2075点中2070.4点の99.78%でマッカーサーの成績が霞んでみえます(笑) 2位は1829年卒業の南北戦争における南軍の名将(アメリカ史上屈指の名将との評価も高い)ロバート・E・リーで得点率98.33% このバカはこんなすぐに判るウソがバレないとでも思ってたんでしょうか(笑) まぁ、さすがにリーのことは知ってて25年と書いたんでしょうが、20年前のヘイルの事を知らなかっただけかもしれませんね(笑)、ウエストポイントの校長もしてシルバヌスセイヤ―賞までもらっときながら不勉強な奴で呆れます(笑) (ウソ4) 水泳選手古橋広之進などを、1949年の全米水上選手権大会出場させる為に助力あいた。挨拶に来た選手団に会議を中断して出てきて「勝っても負けても堂々と帰ってきなさい」「しかし出場する以上は勝たないとパスポートを取り上げるよ」と冗談を言って送り出した。 古橋氏(日本水泳連盟の会長を長年務めた)は「過分な言葉をいただいた」と感激、生涯マッカーサーを尊敬していたろいう主張をしていますが、これがまるっきりの大嘘 古橋広之進氏の自伝「熱き水しぶきに」のP.31「マッカーサー元帥」という項にマッカーサーとのやり取りが書いてますが、マッカーサーがいる第一生命館の6階の執務室に通された古橋氏は、待っていたマッカーサーと30分間立ち話をしたと書いてるだけで“わざわざ会議を中断して”と言う記述も無ければ、事実が書いてるだけで“生涯マッカーサーを尊敬していた”なんてことも書いてません。 古橋氏生前の最期に近い講演でも「全米選手権はハワイの日系人に招待されたついでに大会理事に直接参加を申し込んだ」とか「パスポートとビザにマッカーサーのサインが無いと渡米できなかったので仕方なく伝手を頼って面談しサインをもらった」等語っており、マッカーサーは何の助力(笑)もしておらず、全く違います。当然尊敬なんて言葉は一切ありません。(※出典 古橋広之進氏講演「フジヤマの飛び魚が見た昭和とこれから」2007年7月19日経団連ホール) こんな息吐くようにウソをつくペテン師と汚職で捕まった汚れ政治家の証言が幣原が戦争・戦力全放棄案を発案したと証言する有力証言者(笑)ですから、いかに幣原発案説に信用性がないかバカじゃなければ理解できるでしょう(笑) 女性従軍記者にセクハラするマッカーサー

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「日本国憲法」がGHQによる「押し付け」であることは、真面目に考えたら疑う余地がない事実です。 それは、このように考えれば容易に理解できるはずのことです。 「日本国憲法」は明確に「国民主権」を、その根本としていますけど 日本国民が主権を発動して制定した憲法ではありませんし、その後に日本国民が主権を発動して改正した事実もまったく存在しません。 GHQが基本骨格をつくったものを、せいぜい手を加えただけの憲法です。 GHQの作った基本骨格の部分は、大きな視点から言えば修正されていませんから、つまりGHQの意向による「憲法」であり、日本国民が望んだ憲法ではありません。 事実、その後に政治の都合により、何度も「解釈改憲」がなされていますが、そのような「解釈改憲」にしても、国民の意向を反映した結果ではありません。 そのようなデタラメな「憲法」が押し付けでないという論理は 少なくとも私は、いかなる意味でも承服するつもりはない。

⬇の嘘つきへ! >ウソを言ってはいけませんよ。 私はマッカーサー回想録 "Reminiscences" の英語原版を二度も読みましたがそんな事はどこにも書いていない。 →まず『マッカーサー回想録』じゃなくて、『マッカーサー回想記』な。 そのオリジナル版は日本で出版されたものが「正」であり、そのマッカーサー本人によるオリジナルの自筆原稿は今でも朝日新聞出版に保存されている。 (私自身が問い合わせにより確認している) 後になってからアメリカで出版された版の方は、都合の悪い記述を削除するなど、後からの訂正が、かなり入っており そんなものはオリジナルでも、なんでもない。 これはマッカーサーについて、キチンと調べた人なら常識として知っているはずの話だ。

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>日本国憲法、やっぱり「押し付け憲法」なのでは? その「押し付け」の定義は何です? 日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きに則って制定されたものであり、その過程でマッカーサー草案から変わっていますし、修正もなされている。 元の案をGHQが示したからといって、一言一句変えるなとも言ってません。 ですから、私はそれは「押し付け」ではないと思いますが、それは私の主観。あなたがそれを「押し付け」と言うのであれば、私のような者も納得させられるような客観的な基準を示していただかなければ、このような質問は意味がないと思いますよ。 そして、仮にそれが「押し付け」だとしてそれが何か問題ですか? どういう経緯で作られようが、その中身が国益に適うならそれで良いではありませんか。 >外相公邸でマッカーサー・ノート日本側に渡した際にご丁寧にB25を低空飛行させてホイットニーが「アトミック・ヒート(原子力的な光)のなかで日向ぼっこをしていたよ」と冗談を飛ばした逸話を聞いていると 日本側の出席者の中で、それで脅されたなんて言っている者は、すなわち、あれによって憲法を「押し付けられた」と言っている者は一人もいないと思いますけど。 つまり、「押し付け」と言っているのは外野の者ばかりってことになりますね。

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日本側の出席者の中で、それで脅されたなんて言っている者は、すなわち、あれによって憲法を「押し付けられた」と言っている者は一人もいないと思いますけど。 つまり、「押し付け」と言っているのは外野の者ばかりってことになりますね。 白洲次郎 「この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える」 『プリンシプルのない日本』225頁 新潮文庫

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まあ明治憲法も国民にとっては押し付けられたものなんですが。

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押し付けと言えば押し付け、ある意味ではそうではないとも言える(笑)、、、 御存知の様に日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し戦争が終わりましたが、そのポツダム宣言にこの様な条項があります。 第十項 「、、、日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」 GHQは、封建的な中世の思想に基づいた帝国憲法は日本を戦争に導いた要素の一つと考え、戦後最初の内閣である東久邇内閣に新しい憲法の作成を要求。しかし出てきたものは天皇主権の旧憲法とほとんど変わらないもの。これでは日本の民主化は出来ない、と戦争終結のかなり前からアメリカで法律専門家を中心に研究していた日本民主化の為の案に日本人有志の意見も加え、新憲法案を日本政府に提示。 安倍前首相が言った様に「GHQのシロウトの軍人たちが二週間でデッチ上げたもの」ではありません。 日本サイドは数々の小委員会を作ってGHQ案を精査。国会でも二度にわたって審議し、受け入れを決定。昭和天皇も「これでいいじゃないか」と言ったそうです。そして帝国憲法第73条に準拠し、国会で承認のあと天皇臨席の枢密院本会議でGHQ案の受け入れを決めました。連絡を受けたGHQの担当部署は日本政府に「それでいいのですね?」と念を押している。 第九条については、東久邇内閣を継いだ幣原喜重郎の意見で加えられた事は今では明らかになっています。マッカーサーはそれを聞いて驚き、感激した、と。幾多の戦争を戦ってきたマッカーサーは、「軍人が戦争の悲惨さを一番よく知っている。戦争の矢面に立たされるのは軍人だから」と言っていました。あの時点ではある意味ではマッカーサーは理想主義的な感情を持つに至っていたのかも分かりせん。 マッカーサーの日本人観は「日本人は元々勤勉で優秀な国民だ。これで真の民主主義が育ったら素晴らしい国になるだろう」、と。 戦争が終わり、GHQ主導で精力的な日本の民主化、復興政策が次々と導入されました。「GHQは日本を骨抜きにした」と言う人がいますが、骨抜きになったのは旧日本の軍国主義、封建主義です。新憲法を基本に日本人は猛烈に頑張り、「戦後の奇跡」と呼ばれた復興を成し遂げ、戦前では想像も出来なかった世界トップクラスの平和で豊かな日本を造り上げました。鉄砲のタマを一発も撃つ事なく。 もちろんすべてが完全な訳ではありません。そんな国はどこにも無い。ここから日本をどこへ持っていくか??? 占領が終わり日本が主権を回復して既に69年。もうマッカーサーはいいでしょう(笑) 日本は民主主義、国民主権の国です。 憲法改正が必要であればその為の民主的な手続き確立されています。政府も姑息で強引な「解釈変更」で逃げ回らず、正面から堂々と国民に問いかけるべきです。先進国の日本人として高い民度の見せどころではないでしょうか? マッカーサー、GHQがやった事がそんなに悪い事だったら、今まで68年、日本人は何をやっていたのですか? それで満足なのか、あるいは自分で考える能力の無い劣等民族なのか、、、どうでしょうか?

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別に戦後ずっと改正しなかったことまでアメリカのせいにするつもりはありません。 押し付けられたものを冷戦初期に日本側も散々利用したし、押し頂いたのも事実だろうと。 「第九条については、東久邇内閣を継いだ幣原喜重郎の意見で加えられた事は今では明らかになっています。」 マッカーサーノートの執筆者であるケーディス、フランク・リゾー、対日理事会代表のシーボルト、吉田茂外相が幣原提案説を否定していていまだに定説が定まってないのが実相では。 護憲派の歴史家でも古関彰一や袖井林二郎はマッカーサー起源説ですし。 https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20170414-OYT8T50005/2/