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2021/2/26 22:39

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イエス・キリストの示した神の愛って、どんなものなんですか?

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愛というものは あらゆる規定、 あらゆる助言 あらゆる約束、 神の特質、 キリストの特質、 ...... に含まれています。 例えば 改心しない者を死刑にすることにも愛は含まれています。

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アダムに獣が殺されました。贖いの予表とされてます。 ノアが残されました。 等、贖いの現れ、約束ですかね? 趣旨に沿わ無いかな?済みません。

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イエスはカペナウムの百人隊長の病気のしもべを触れることなしに癒しました。 マタイ 8:5-13 イエスはエルサレムにあるベテスダと呼ばれる池で、三十八年間歩くことができなかった病人を癒しました。 ヨハネ 5:5-9 カペナウムの会堂で悪霊につかれた人を癒す マルコ 1:23-28 ペテロのしゅうとめや多くの病人を治す マタイ 8:14-16 らい病人を癒す マタイ 8:2-4 中風の人を癒す マタイ 9:2-8 未亡人の息子を生き返らせる ルカ 7:12-16 イエスの着物に触れただけでこの女は癒されました。 マタイ 9:20-22 ヤイロの死んだ娘を生き返らせる 死人を生き返らせる力を持つことを示しました。 マタイ 9:18-19、23-26 五千人の群衆に食物を与える マタイ 14:15-21 嵐を静める マタイ 14:22-33 カナン人の女の娘を癒す マタイ 15:22-28 耳が聞こえず、口のきけない人を癒す マルコ 7:32-37 生まれつきの盲人を癒す マルコ 8:22-26 ラザロを死から蘇らせる ヨハネ 11:1-46 「イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。 イエスは涙を流された。」 ヨハネによる福音書 11章33-35節 「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された...イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」 ヨハネによる福音書 13章1、3-5節 https://www.wordproject.org/bibles/jp/43/13.htm#0 「されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。 ルカによる福音書 23章33-34節 「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。 ヨハネによる福音書 13章34-35節

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イエスの第一の掟はヤハウェを愛せです。 そしてそれは申命記からの引用であり、 イエスの命じるヤハウェへの愛とは次のようなものです。 マタイによる福音 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主(ヤハウェ) は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 こらは申命記6:4からの引用なのでその後の文書も紹介しておきます。 申命記6:4.イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 5.あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。 6.きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、 7.努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。 そして聖書の神の命令は、この様に続きます。 申命記7:1 1.あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、 2.すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。 3.また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。 4.それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。 5.むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。 申命記13 6.同じ母に生れたあなたの兄弟、またはあなたのむすこ、娘、またはあなたのふところの妻、またはあなたと身命を共にする友が、ひそかに誘って『われわれは行って他の神々に仕えよう』と言うかも知れない。これはあなたも先祖たちも知らなかった神々、 7.すなわち地のこのはてから、地のかのはてまで、あるいは近く、あるいは遠く、あなたの周囲にある民の神々である。 8.しかし、あなたはその人に従ってはならない。その人の言うことを聞いてはならない。その人をあわれんではならない。その人を惜しんではならない。その人をかばってはならない。 9.必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、あなたがまず彼に手を下し、その後、民がみな手を下さなければならない。 10.彼はエジプトの国、奴隷の家からあなたを導き出されたあなたの神、主からあなたを離れさせようとしたのであるから、あなたは石をもって彼を撃ち殺さなければならない。 ●イエスはヤハウェと同じ復讐心に満ちたひとです。 ●(マタイ 5:9) 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためではなく、 剣をもたらすために来たのだ。敵対させるために来たのだ。」 ●イエスの言葉 マルコ福音書16/16 新共同訳 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は 滅びの宣告を受ける。 別の場面では、イエスは弟子たちの勧誘に耳を傾けない街は「ソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む」と恫喝して凄んでいます。 ●マタイ10:14あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。 15はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」 ーー ●ヨハネの福音書3:36.御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。』 ●異教徒は人間ではない●●● 私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」・・・獣と偽預言者]は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方[キリスト]の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。 (「ヨハネの黙示録」6章9〜19章21節、新改訳 殺せと神が命じるとき http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.htmlには

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そんなものありませんよ。 イエスはマタイによる福音書で次のように言ったとされています。 「22:35そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、22:36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」 22:37イエスは言われた『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 よく読んでくださいね。この言葉はイエスの言葉ではなく律法に記されている言葉であり、問いは「律法において大切なものは何か?」です。 ほとんどの牧師や神父が勘違いをしている。 ★イエスが言ったとされているのは『49 「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 50 しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私はどんなに苦しむことだろう。 51 あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。 53 父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。』(ルカによる福音書12章) ・・・ですよ。 要するにイエスの愛は『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私はどんなに苦しむことだろう。』この一文に尽きますね。つまり“十字架の愛”以外はありません。

掟は愛じゃありません。そして奇跡も愛ゆえじゃありません。病気を治したり死人を生き返らせることが愛なら、死も病気も自分の愛をひけらかすための手段でしかない。つまり生き返らせない治さないならそこに愛はないという事になってしまう。 牧師や神父、宣教師などが愛だと言って近づくには下心あってのことです。 ザビエルらは愛の教えだと言って日本人に近づき、日本を占拠するため。またその後ろにいるスペインなどはそれで騙した日本人を奴隷として売り飛ばすためです。だからそれを知った秀吉らはキリスト教布教を禁止したのですからね。このことは先にヨーロッパでも、そして南アメリカでもやっているじゃないですか。 ってゆうか奴らはろくすっぽ聖書も読んでいないから「愛だ」なんて言えるんでしょうねぇ。