音色は、視覚を奪われてしまった彼が全幅の信頼を置く【聴覚】によって培われたものですよね。
人間の感覚機能五感の内、一つ(またはそれ以上)の感覚を失うと、その他の感覚に(良くも悪くも)依存するといいますが、辻井さんが、聴覚(主に音色)や触覚(主に打鍵、タッチ)に鋭敏に研ぎ澄まされていくのは自然な事だと思います。
視覚障害のある知人は、非常に嗅覚に優れていて、随分距離があるところで調理をしていても何を切っているのかを当てたり、人が昨日食べた物を当てたりするので驚いたことがあります。
逆に、私達から視覚が奪われたら、他感覚機関で感じ取れるものは、つぶさに精緻に感じ切ろう、とするのではないでしょうか。
彼らがもし健常者だったら、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のいずれが突出して秀でる事はなかなか考え難い気がするのです。
一般的な五感は、感じ方にばらつきこそありますが、それぞれが分散しながら補完し合って5角形が形成されている為、勿体ない事に、自然に鈍麻されている状態なのですね。
辻井さんが健常者であった場合、今同様に音色が美しいか、変わらず馬力があってポテンシャルが高いか、よりも、それ以前に、幼い頃の彼が、トイピアノに対し必要以上に興味を示しただろうか、要は、親御さんが、そもそも音楽をやらせていただろうか、
そこだろうな、と思います。
窓