よくある質問ですが、今一度お聞きしたい。

補足

皆さま、とても勉強になりました。 お時間くださり、誠にありがとうございましたm(__)m しかし、ソ連の参戦も、原爆投下に触発されての事ですから、アメリカを正当化するつもりはないですが、やはり日本の全面降伏には原爆が最大効果的だったと言わざるを得ないですね。 以下に詳細が載っています。 ぜひ、御参照ください。 ↓ https://dryorg.com/entry/2017/06/11/133008

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ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

私も1人の日本人として、御先祖たちの思考と行動を想像してみましたが、やはり貴殿の見方がほぼ正確だと感じますね。

お礼日時:3/3 19:52

その他の回答(8件)

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海軍は昭和17年に壊滅していたので 原爆投下に係わらず 何時でもポツダム宣言受諾の用意は有りました。 その点 陸軍は中国大陸では連戦連勝!負けてる感覚には程遠いい訳ですし 少し練度は低下していても 関東軍は健在でしたから 広島 長崎 に原爆を投下されてなければ 全く戦争を止める大義が無かったでしょう。 原爆投下が無ければ 鈴木総理は 陛下のご聖断へとの道筋を創る事が難しかったのでは。 なので 陸軍が先手を打って 阿南惟幾陸軍大臣の辞職で内閣府一致 → 組閣 となって 陸軍大臣に誰がなるか?で大揉めになるでしょう。 つまり 素直に終戦への道へと舵が切れないのでは。

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日本側の対応を見る限り、原爆は降伏決定までのプロセスにはほとんど影響を及ぼしていません。広島の壊滅が伝わっても何ら国家方針は変わっておらず、方針転換を目指す動きとして開かれた「最高戦争指導会議」はソ連参戦を受けて開かれています(長崎への原爆投下の第一報は、この会議の最中に届きました)。原爆でたくさんの日本人が死のうが、それは戦争継続論が唱える「本土決戦」でも同じことです。しかしソ連参戦によって本土決戦の目的である「ソ連を仲介とした降伏条件の値切り」が不可能になったことは極めて重大な問題だったんです。 ただし、国民に「降伏」という方針転換を納得させるためには原爆はこの上ない「良い」(皮肉です)材料となりました。「国体護持を目指して降伏条件を値切るために戦争を継続したが、仲介役がいなくなったので降伏する」なんてことを馬鹿正直に国民に玉音放送で知らせたら「ふざけんな、天皇がいるから戦争止められなかったんじゃねぇか」って方向に扇動された国民が日本自体をめちゃくちゃにしてしまう、WW1末期の帝政ドイツの崩壊に似た現象が発生してしまいかねません。しかし「敵が残虐非道な原爆を使いだした、もう日本はそれを止める方法がないから国民皆を守るために降伏する」ならまだ戦後の日本は「日本」としてまとまり得る訳ですから。

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そもそも本土決戦の目的は無条件降伏ではなく、講和(条件降伏)を達成させること。 本土決戦で日本人1000万人の犠牲の上に連合軍、とりわけアメリカ兵に対して100万人の死傷者を出せばアメリカも講和に応じるだろうと考えた。その講和に持っていくためには仲介国が必要であった。仲介国は国際的に発言力、影響国こある国でなければならない。それが日本と中立条約を結んでいたソ連。 そのソ連が日本に宣戦をしてきたのだから、本土決戦の意味がなくなった。 それによりソ連が侵攻してきた当日の夜に御前会議が開かれ、日本は降伏の用意があることを連合国へ伝達している。しかし日本は降伏に条件をつけていたために連合国はそれを拒否、それを受けて日本は再び御前会議を開いてポツダム宣言を受諾。翌日には国内外に向けて玉音放送が流れ降伏の声明を発信した。 なお終戦間際に異例と言える御前会議が2回開かれたわけだが、その会議で原爆のことについての討議記録は残っていないし、原爆の被害も正確に伝わっていない。 また広島、長崎に原爆が投下される前に東京大空襲で10万人規模の犠牲者が出ているがこのときも御前会議は開かれていない。 つまり原爆が落とされなくても仲介国として当てにしていたソ連が参戦したことで本土決戦の意味が無くなり、日本は史実通り8月15日に降伏をしたと思います。

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原爆投下がなくてもソ連参戦で日本は降伏したと思われます。 史実では原爆投下直前の時期、日本はソ連を通じて講和交渉をはじめていました。ポツダム宣言が出されたときにすぐに受諾しなかったのもソ連との交渉があるから、ということになってました。 そしてそのソ連が連合国の一国として参戦しました。 日本の降伏のためのプロセスは公式にはソ連参戦がきっかけとなっています。ソ連参戦が名目として降伏のための御前会議が開かれましたから。 ちなみに、ソ連参戦と原爆投下のどちらが日本の降伏決断の直接のきっかけだったのかはわかっていません。 ソ連参戦のタイミングは2発の原爆投下の間であったためです。当時の当事者の天皇や政府にとってもわけられなかったことでしょう。 これらのことから、ソ連参戦で原爆投下がなくても降伏したと思われます。

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原子爆弾が落とされる以前に本土空襲によってすでに70余りの市街が解決させられていました。 原子爆弾はインパクトこそありますが、"都市の壊滅"という意味において特別なことは無いので軍としては終戦に向かう気運は高まりませんでした。 どちらかというとロシアが参戦して来たことの方が軍の動揺は大きく、意見が割れました。 タイミングがほとんど同じなのでごちゃごちゃになりますが、終戦タイミングを伺っていた鈴木内閣はロシアの参戦をもって「講和のチャンス」と捉えたように思います。 昭和天皇はもう何ヵ月も前から終戦の意思を吐露されていましたので、仮に原爆がなくロシア参戦のタイミングで御前会議がひらかれたとしても御聖断をされたのではと思えます。

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