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2021/3/2 20:32

66回答

全国の石高地図を見たのですが越中や越前などが想像よりかなり大きいのですがなぜあのような山がちで平野が大きいわけでもない地が豊かだったんですか?

地学 | 日本史38閲覧

回答(6件)

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江戸時代以前の水田は山(丘)と山(丘)の間の川沿いの谷間にありました。 このような地形を「谷(ヤツ・谷津)」といいます。 大きな河口付近などは水害により沼地ばかりで非耕作地だったんです。 越中も越前も「谷」がたくさんありますね。 一乗ケ谷もそうです。 江戸時代に治水がすすみ、平野部に水田が多くつくられるようになると石高は変化します。幕末期は他の地域のほうが比較すれば石高があったでしょう。

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昔は灌漑用水やダムを作る事が出来ないから水が来ない平野はいくらあっても稲作どころか畑も出来ないので、山でも養分が豊富な水があれば段々畑にして耕作出来ました。 新潟は雪解け水が豊富で山が急峻では無かったから山間部でも耕作可能な面積が広かった。

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日本の大きな平野部は江戸時代から昭和にかけて、大規模な治水土木工事を経てようやく農業やその外の用地として使用できるようになった場所が非常に多く、それまでは川の三角州や湖沼地帯、あるいは遠浅の内海だったような所が多数あります。 現在でもびっくりするような内陸の奥地に農地があるのは、下手に洪水だらけの湖沼地帯を開発するより、山合いの盆地を開発したほうが効率がよかったのです。 越中や越前などの平野部はそうした事をしなくても古くから農地使用可能なところでしかも京都から近かったので開発が進んできました。

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富山や福井の平野部は平坦でかなり広いですよ。水も豊富で太平洋岸より台風などの災害も少ない。それに北陸は古代からの先進地帯です。京都から案外近いですからね。

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北アルプスとかから、きれいな大量の雪解け水のお陰で、米所だから、じゃないですか。