浄土真宗は仏教か? , 浄土真宗では般若心経を事実上否定している。 なぜなら般若心経は「空」を説いているからと言われている。

補足

下記のように浄土真宗を庇う者もいる。 ●仏教をブッダが蒔いた思想の種子から繁殖した全てのもの と拡大した定義にすると、浄土思想が仏教の部類になることを 否定することはできません。 ⇒その理屈だと、キリスト教は「ユダヤ教」となるわなww キリスト教はユダヤ教から分派したもので、 イエス(キリスト)もユダヤ教徒だった。 さて浄土真宗は仏教の仏である阿弥陀如来を信仰しているが、 浄土真宗の教義は「縁起空思想」を事実上排除している以上、 仏教からスピンオフした「阿弥陀如来教」とするのが適切だ。 ユダヤ教の看板を外しているキリスト教のほうがむしろ潔い。

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わたくしは世間のいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。 ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、 そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。 (スッタニパータ、1064) 我が弟子の中には、あるものは涅槃に至ることを得、 またある者は至ることを得ないが、それを、 わたしがどうすることができようか。 如来はただ道を教えるのみである。 (マッジマニカーヤ、107) 如来が世に生じても、生じなくても、縁起は確立している。 (サンユッタニカーヤ、12:20) 縁起を見る者は理法を見る。理法を見る者は縁起を見る。 (マッジマニカーヤ、30) 理法を知り、理法にしたがって実践したならば、 老衰と死との彼岸に達するであろう。 (スッタニパータ、「彼岸に至る道」)

ブッダは、死ぬ少し前に、弟子たちに対して、 これからは、各自が自己と真理だけを拠り所として生きていけ、 と説きました。 「わたしはもはや老い衰え、老齢 既に八十となった。 古き車が革ひもの助けによって行くが如く、その如く、 思うに、わたしの身体は、革ひもの助けによって、 わずかに保っているに過ぎない・・・。それゆえ、汝らは、 これからは、自己を燈明とし、自己を拠り所として、 他人を拠り所とせず、真理を燈明とし、真理を拠り所として、 他を拠り所とせず、生きていきなさい。」 (ディッガ・ニカーヤ 16:2.25-2.26)

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おそらく浄土思想は仏教ではありません。 しかし、仏教をブッダが蒔いた思想の種子から繁殖した全てのもの と拡大した定義にすると、浄土思想が仏教の部類になることを 否定することはできません。 その場合、法然や親鸞が「自分たちの思想を打ち出すために」 ブッダの教えを単に利用しただけかなのかどうか、わかりませんが、 法然や親鸞はそれぞれ問題を抱えていて、 伝統の中から新しい思想を生むことによって解決を見つけだしたのだ、 ということぐらいは言えるのではないかと思います。

>>しかし、仏教をブッダが蒔いた思想の種子から繁殖した全てのもの と拡大した定義にすると、浄土思想が仏教の部類になることを 否定することはできません。 ★その理屈だと、キリスト教は「ユダヤ教」となるわなww キリスト教はユダヤ教から分派したもので、 イエス(キリスト)もユダヤ教徒だった。 さて浄土真宗は仏教の仏である阿弥陀如来を信仰しているが、 浄土真宗の教義は「縁起空思想」を事実上排除している以上、 仏教からスピンオフした「阿弥陀如来教」とするのが適切だ。 ユダヤ教の看板を外しているキリスト教のほうがむしろ潔い。

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2021/3/14 2:25

まあ、龍樹菩薩はそれまでに芽生えつつあった空の理論を体系化し、中観派の祖であると同時に、他力の理論も明確に示し、浄土真宗では第一祖とされてますからね… 何が方便で何が仮論なのかは立場によるだろうし、研究者によっては龍樹は釈迦の法理論を根底から覆し、新たに大乗という別の法体系を作り出したと分析する人もいるし、見方次第でしょうね。 空理論の思考が重ねられ、高度な信仰や哲学に昇華したのと同様、他力が熟慮され、同じく高度な信仰、世界観に昇華したのが浄土系日本仏教だろうし、浄土真宗でも空や縁起を否定しているわけではないし、それで良いんじゃないかと思います。 ちなみに、私の実家の墓はやはり浄土系の時宗の寺ですが、他力…仏の救済は地球が太陽の周りを回ってるのと同じくらい確かで当たり前のことなので、現世、今生での信仰のあり方にさほどこだわりはなく、もちろん南無阿弥陀仏は唱えるけど、普通に寺で般若心経も唱えられるんですが、そうでない浄土系のあり方…そんな暇があるなら一心に他力を信心せよという考えがあっても良いと思いますよ。

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般若心経はゴータマ・ブッダが説いたと言われる五蘊説を否定し 空思想で塗りつぶすように上書きアップデートする内容ですから、 ある意味で言えば大乗仏教自体が 「仏教」ではなく「ネオ仏教」的な立ち位置であるとも言えます。 いまさら仏教であるかどうかにこだわる事自体 あんまり価値がない気がします。 内容に妥当性がありさえすれば 仏教だろうが何だろうが良いのではないでしょうか。

>>いまさら仏教であるかどうかにこだわる事自体 あんまり価値がない気がします。 ★そのオマエのセリフは浄土真宗信者に言ってやれ。 「仏教徒」という看板にこだわるな、と。 縁起空思想を無視しながら、 仏教徒という名称にこだわっている浄土真宗信者に オマエが「こだわるな」と注意してさしあげろ

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浄土真宗さんは蓮如さんですが、本家は法然さんですね。 法然さんは自分の考えだと宣言しておりますから お釈迦様の教えでは有りません。しかし これからが問題です。 初期仏教(新興宗教テーラワーダ仏教を除く)に どの様な教えも助けに成れば良い)と説かれています。 つまりキリスト教でもイスラム教でもエホバでも良いと仰っているのです。 これがお釈迦様の姿勢です。 結論 仏教では無いかもしれないが、お釈迦様の教義に沿っている。