三国志で、劉禅ではなく劉封を後継者にしていたら蜀はかなり 長持ちしたのは確実だと思うのですが、どうでしょうか?

補足

たくさんのご見解のご提供ありがとうございました。 劉ショウは家の門の番犬と揶揄された人で漢室の復興という 大義を重視する人ではなかったと思えたうえに、劉備の古参たちは 劉封を迎えた経緯を知っており、それについては織り込み済みで さほど抵抗はないように思えました。そもそも劉備は諸葛亮に、 「君が跡を継げ」と遺言しましたがそれほど混乱は起きていないと いうことから、後継問題にそこまで神経質な団体ではなさそうと 思っていました。が、蜀の旧臣が劉備を受け入れたのは漢室の 復興というものに期待したから、という要素が大きいのかも しれませんね。そうだとすると、確かに純粋な劉氏ではない 劉封が劉禅を抑えて帝位につくとなると反発が起きる可能性は 高いかもしれませんね。

ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

史実の三国志についてあまり知らないとは思います。 陳祇というのも初めて聞く名前です。周倉が架空の人物で あるとか、そういうことくらいは知っていますが。 史実の三国志について触れる機会は日本においてはかなり 少ないように思いますが、色々と見てみたいと思います。

お礼日時:4/6 12:05

その他の回答(7件)

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曹魏がまともだったのは曹叡まで。実子ではない曹芳の代に「高平陵の変」が起こって司馬氏が政治を牛耳ります。 それでも曹芳は曹氏の血縁です。 血縁でない劉封が後継者になれば、ほぼ確実に混乱します。 唐末五代は、実子と仮子(養子)の勢力争いによって大乱世となりました。中華史上最大と言っていい乱世です。劉封は不憫ですが、その芽を摘んだ諸葛亮はさすがだと思います。

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そもそも劉封の旧姓は寇氏で劉氏じゃないです。 流浪の傭兵隊長だった頃の劉備の跡継ぎにはなれても、漢王朝の再興を掲げる蜀漢の皇帝に異姓の人間がなれません。

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どうでしょうね。 劉禅だからこそ、諸葛亮は自由に才能を発揮できたとも言えます。 劉封がどういう人なのか、はっきりわかりませんが、諸葛亮と対立したらかえって悪くなるでしょう。 ちなみに、劉封を殺すように劉備に進言したのは諸葛亮ですから・・・諸葛亮は劉封が生きていたら後の憂いになると判断したのです。 劉禅は、まあたしかに名君とは程遠いですが、そこまでダメだったわけではありません。 なんだかんだで三国志上で最長の在位期間を誇る皇帝です。 その間、大きな内乱もなく、国内は安定していました。 よく言えば、良臣を信頼して政治を委ねた人、悪く言えば、自分では何もしなかった人、です。 宦官の黄皓が出世するのはかなり晩年であり、黄皓が権力を握るのは劉禅の治世の最後の数年でしかありません。 逆に劉禅よりもかなり年長の劉封だったら、その頃はすでにかなりの高齢になってるか、まあ当時の寿命を考えたら死んでるでしょう。 ぶっちゃけ、劉封の実績って軍事面で多少あるだけです。 劉備が気に入った理由も、武芸・気力が優れていたから、であって、軍略や政治の能力を評価したわけではありませんから、簡単に比べられるもんじゃありません。 普通に考えて、劉備と血の繋がってない劉封を後継者としたら、諸葛亮をはじめ、家臣から反発が上がるのは必至でしょうね・・・。

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後継者、というのは本人の能力だけでなく、支持者も必要だと思います。 荊州の劉表も、長男の劉琦でなく、地元の超有力者蔡瑁に縁が深い劉ソウに跡を継がせました。 さらに劉封が宦官と関わりがあったかどうかはわかりませんが、味方がいないので宦官にチカラを借りて勢力争いに勝とうとするケースも三国時代にあったと思うので、劉封も勢力争いに勝つため宦官にチカラを借りる…というコトもあり得たかもしれません。横山三国志の劉封を見ていたら、劉封は愚直に描かれてるのでそんな事はないかも知れませんが、自分の家族や部下などを守るためには多少悪いことでも行うかと思います。 諸葛孔明が劉封を処刑にすることをすすめたのは、性格が剛勇だから今後制御するのが難しくなる恐れがあるから、とまるで演義の魏延のことのように書かれてます。 質問者様のお考えとは違って申し訳ないですが、国や組織の安定のためには、劉禅の方で無難だったと思います。

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いくつかのリスクはあると思います。 まず第一に劉備の実子ではないことから、蜀漢の大義名分である漢王朝の継続が弱まってしまうということです。また、これも関係するのか分かりませんが諸葛亮が劉封に死を賜ることを進言しているところを見ると、諸葛亮にとっては不必要な存在だったのでしょう。 また蜀漢の要人には元関羽の配下が荊州陥落後も成都に逃げ延びて重職をになった人物がいます。この人達からすると関羽・関平以下の荊州戦線敗北時の同僚の死の原因とされた人物ですのでやはり家臣の統制に不安が残ります。 つまり、劉封の最大の弱点はそもそも劉備陣営で、劉備の養子という立場にいながら味方が少ないことです。実際に陳寿もそこは指摘しています。 劉封が積極的に頭を下げ、劉禅に臣従を誓い、諸葛亮らの意見に逆らうことがなければ生き延びることはできたかもしれませんが、劉備の後継者となることは関羽敗北の原因の一端とされた時点で実質不可能だったと思います。 まぁ、もしかすると魏延とか、李厳みたいに諸葛亮とそりの合わない人々からすれば積極的に登用して活躍の機会を与えたら喜んでくれたかもしれませんね。

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