伊達政宗の「慶長遣欧使節」で質問します。

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■日本から輸出可能な物は、日本刀、火縄銃、西陣織り。 <私の疑問点> 日本製の火縄銃をノビスパンの人が求めていたのですか? ■輸出するとすれば、銀、鉄鉱石、鉛鉱石、唐辛子ですね。 <私の疑問点> スペインは南米の銀山を開発してアマルガム製法で 日本より上質の銀を製錬していました。 日本の銀を欲しがる理由が分かりません。 鉄鉱石はメキシコでは産出されなかったのですか? 唐辛子はそもそも南米原産ではないですか? ■アカプルコから、ハワイやフィリピン経由でバナナなどの嗜好品を持ち込んでも良いですね。 <私の疑問点> その頃、ハワイやフィリピンでバナナが栽培されていたのですか?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

■回答ありがとうございました。 きちんと答えてくれたはアナタだけです。 あとの人の回答は質問と関係のない話でした。 南蛮貿易を調べると面白いです。 以前の私はポルトガルとスペインを一括りにしていました。 調べてみると対日貿易の方法が大きく違うのです。 <これがわかりません> 伊達政宗は何を考えて通商交渉をしたのでしょうか?

お礼日時:4/10 12:32

その他の回答(2件)

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徳川方と戦になった場合の同盟と支援の約束です。 伊達政宗は徳川方と戦の場合を考えいくつかの備えをしてます。

<こう考える人は多いと思います> 伊達政宗が支倉常長の遣欧使節を送り出したのは1613年です。 その頃、徳川家康は大御所で秀忠が2代将軍になっていました。 一方で、大坂城には豊臣秀頼がいました。 伊達政宗には「天下取り」の野望があったそうです。 遣欧使節は通商交渉を隠れ蓑にして スペインと軍事同盟を結ぶのが目的だった。 最新の武器や戦術を手にいれて、来るべき「天下分け目」の合戦に挑みたい。 政宗はスペインの軍事力(援軍)をあてにしていた。 ■アナタもそう考えますか?

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「慶長遣欧使節」はローマ法王に会うのが、本来の目的と言われています。 支倉常長は法王に、「日本の半分を差し上げますので、徳川をやっつけて下さい。」と頼んだと言われています。これは政宗の命令です。 その時の法王の返事は、「政宗がキリスト教に改宗するなするならば、」と言われています。政宗の改宗は、法王の日本征服を意味しますので、話は流れたと言われています。

<私の歴史認識> 慶長18年、伊達政宗は仙台領内でのキリスト教布教と引き換えにメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王とローマ法王のもとに交渉使節団を派遣しました。 しかし、支倉常長がスペイン国王と会っても通商交渉は進展しませんでした。 そこでローマ法王に会って賛同してもらう事で「後ろ盾」を作ろうとしたのではないですか? そもそも貿易が目的で、ローマ法王に会うのは「最終手段」だったと思います。 <調べてみてください> スペイン国王は支倉一行をローマに送り出すかどうかで躊躇していませんか? 支倉常長はスペイン(マドリード)で何か月も足止めをくらったあと、ようやくローマに向けて出発できたと聞いています。