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2021/4/11 19:49

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日航ジャンボ機123便墜落事故の陰謀論がアチラこちらで論破され妄想の類いに成り下がっていますが、陰謀論者は妄想とイカレッぷりのアピールが足りないのではないでしょうか?

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1985年8月12日の日航123便墜落事故について、事故当日、相模湾で、海上自衛隊が実施していた誘導ミサイルの検証実験中の事故に巻き込まれたために、発生したと考えられます。 異常事態後、クルーが酸素マスクを着用しないで、20分間、高度7000㍍を維持したまま、操縦を継続したこと等から、日航機内に、頑強な垂直尾翼を破壊するような急減圧は、発生しなかったと思われます。 異常事態直後、機長は、気圧のことには言及しないで、「まずい、何か分かったぞ。」と発言した上で、「ギア、見て、ギア」と指示していますけれども、これは、減圧兆候が見受けられなかったためであり、作動したのは、客室高度警報音ではなく、車輪の異常を報せる離陸警報音であったと考えられます。 日航機は、機体を安定させるために車輪を出し、山梨県大月市上空で右旋回をしながら高度を下げ、横田基地への緊急着陸態勢に入っていましたが、機長が「これは、駄目かも分からんね。」と発言した辺りから、北西に進路を変更し、秩父山岳地帯に向かって行きます。これについて、機体を完全には制御出来ない以上、地上で二次災害を発生させる恐れがあるとして、やむを得ず断念したと思われます。 山腹への不時着でありながら、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に4名の方が救出されたのですから、最後まで諦めなかったクルーの姿勢は、高く評価されるべきであると考えます。 事故から9分後、長野県川上村梓山地区に住む女性が、正確な位置情報を、長野県警臼田警察署に通報していること、沖縄県嘉手納基地から横田基地に向けて飛行していた米軍Cー130輸送機が、20分後、現場上空に到達し、米陸軍キャンプ座間に対して、救難ヘリUHー1の出動を要請していること等から、事故直後に、現場は特定されていましたが、北西に8.5㎞離れた長野県御座山等、誤った情報を流すことにより、意図的に救助活動を遅らせ、事故翌朝、午前8時49分、空挺部隊(習志野)が降下するまでの間に、証拠隠滅が図られていたと思われます。

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質問者2021/4/11 21:43

自衛隊に対して貶めたいのでしょうが事故当日は自衛隊は訓練をしていませんデマを垂れ流すのはやめてもらえますか?誘導ミサイル実証実験をしていた証拠はありますか?不時着と書いてますが、かなりの速度で山を翼がえぐっていますので明らかに墜落したのは明らかです その際機体後部が分離して衝撃が和らいだため奇跡的に生存者がいたわけです 言っている事が嘘だらけですし不眠不休で救助にあたった自衛隊員に対して大変失礼だとは思わないのですか?この事故の象徴である生存者をヘリに収容していた自衛官は命懸けで生存者に負担をかけまいと抱きかかえていますフジテレビがスクープで撮影した動画があります観てみるべきでしょう